「村上春樹と言葉の音楽」 ジェイ・ルービン 著

ハルキ・ムラカミと言葉の音楽
こちらは「世界は村上春樹をどう読むか」と違い、作品解説が中心で安心して読める。
特に短編に関しては、「ああ、そういう解釈ができるのか」と思うところがいくつもあった。短編は意味の密度が濃くていろいろ見落とすんだな。


逆に唯一解説が足りないんじゃないかと思った本が「国境の南、太陽の西」だ。偉そうな事を言うけど、まあ、俺の思いこみだ。


この本の説明では「国境の南」と「太陽の西」の違いがいまいち明確になっていない。どちらの言葉も、完璧だけど何かが欠けている世界のメタファーとして解釈されているようだ。
だけど、この2つには大きな違いがあって、「国境の南」が現実、「太陽の西」が幻想のメタファーなんじゃないかなという気がする。


「国境の南」とはナット・キング・コールの曲名だそうだ。アメリカの南、つまりメキシコを指している。登場人物の島本さんは曲名から神秘的なものを感じていたのに、実はメキシコの事だと知ってがっかりする。そういう、素晴らしいものだろうと想像していたのに実際に知ったらがっかりする現実を「国境の南」は象徴している。それはまさに、仕事、収入、家庭すべてにおいて人がうらやむ生活をしているのに、なにか欠けていると感じている主人公の現実の立場と重なる。
一方「太陽の西」は、「ヒステリア・シベリアナ」という言葉の説明として登場する。シベリアの農夫が毎日西に沈んでいく太陽を見ていて、ある日突然存在しない「太陽の西」に向かって歩き続け死んでしまう。「太陽の西」は「国境の南」と違い存在しない。それはおそらく主人公の目の前に現れた島本さんを象徴している。子供の時に離ればなれになり思い出の中で完璧な存在となった島本さんを、現実世界で追い求める主人公はまさに「ヒステリア・シベリアナ」だ。ラストで島本さんがまるで幻のように痕跡も残さず消えてしまうことになんの不思議もない。実際に幻だったのだ。