「ブラック・ダリア」 監督 ブライアン・デ・パルマ

水漏れ修理black-dahlia
うーん、どうなんだろう。途中部分的には面白い。妖しげな1940年代のハリウッドという大きな借景と登場人物達の妄執で、ねっとりとした暗闇に包まれる。特にジョシュ・ハートネットのキャラクタは魅力的にその空気の中で翻弄されていた。
けどこの映画は、その心地よい息苦しさにいつまでも浸らせておいてはくれない。全体的に雑念が混じっているという感じだろうか。ただ、俺が雑念と感じる部分こそがブライアン・デ・パルマにとっての中心なのかもしれない。
例えば壁に襲撃者の影が大きく映るというサスペンス映画のパロディのような演出。あの時代掛かった演出はどう捉えればいいんだ? あそこまで行くとストーリーを語るための演出ではなくて、演出を見せるためにストーリーがあるようだ。
うーん、いや、それはそれでいいんだ。映画の型としてストーリーが用意されていて、それをどう見せるかの方に主眼が置かれていても、それを楽しめる映画もある。むしろ魅力的な映画というのはそういうものかもしれない。
俺が要所要所でこの映画についていけなくなるのは、その見せようとする演出が昔の映画の真似事にしか見えなくて気持ち良さを感じないところだ。あそこまで行くと、それがサスペンス映画的な演出であってももはや緊張感を演出しないことを分かっていながら、あえてやっているとしか思えない。古い映画をもっと観ていたら、あるいは映画的感性がもっと鋭かったら、この演出の観念的な側面に生理的な心地よさを感じるのか?