「レディ・イン・ザ・ウォーター」 監督 M・ナイト・シャマラン

【ワーナー公式】映画(ブルーレイ,DVD & 4K UHD/デジタル配信)|レディ・イン・ザ・ウォーター
俺がシャマランに期待しているものは「レディ・イン・ザ・ウォーター」ではやや薄まっていた。シャマランに期待しているものとは、普通と逆の裏切りだ。「お化けと見せかけて実は現実の話」という紋切り型のように見せかけて、やっぱりほんとにお化け。とか「宇宙人がいるかのように見せかけて実は人間の仕業」という紋切り型に見せてかけておいて、やっぱりほんとに宇宙人。とか。どんでん返しは基本的に好きではないのだけど、過去のシャマランの「ほんとにやっちゃったよ」的な逆の意味の裏切りは俺のツボだった。
そういう意味で、「レディ・イン・ザ・ウォーター」は「もしかしたら現実の話なのか?」という思わせ振りがもう少し欲しかった気はするんだけど、もしそうやっていたとしても、もしかしたらそんな裏切りもそろそろ賞味期限切れだったかもしれない。


もちろん、それでもシャマランの映画には抗いがたい魅力がある。


シャマランの映画にはあちら側の世界とこちら側の世界が描かれる。そして他の映画と違う際だった魅力は、シャマランがあちら側の世界から眺めているということだ。映画の中で起こっている出来事を不思議ともなんとも思わないあちら側から、不思議がったり怖がったりするこちら側を眺めている。
いや、そもそも此岸彼岸と区別していないのか。SF、ホラー、ファンタジーに分類されるような舞台装置で、まるで当たり前の日常を描くように急がずじっくりと人間を描く。ギャング映画をギャング映画のままコメディとして撮ったタランティーノの映画と同じように、ホラーやファンタジーをホラーやファンタジーのまま普通のドラマとして描く違和感は、シャマランの映画の抗いがたい魅力だ。
レディ・イン・ザ・ウォーター」は、彼岸と此岸に橋を架ける作業をより推し進めた結果なのかもしれない。


気になるのは、この映画の中で物語のパターンに何度も言及していることだ。全てを見通しているかのように語る批評家は、非現実的な動物によって喰い殺される。まるで「もうお前らの期待通りのものは作らないよ」と宣戦布告しているかのようだ。そしてシャマラン本人が登場し、「あなたの書いた本が世界を変える」と言われる役を演じる。シャマランは彼岸の預言者として目覚めてしまったのだろうか。
十中八九がっかりするだろうという予感がありながら、次回作がこれほど待ち遠しい監督も少ない。


ただ、そろそろ「シックス・センス」級の普通に面白い映画を撮らないと、そのうち映画自体を撮らせてもらえなくなるんじゃないかと一抹の不安を覚える。