「ハチミツとクローバー」 監督 高田雅博

ハチミツとクローバー | アスミック・エース


映画に入り込んでしまう事はなかったけど、なかなかいい。実写じゃ無理だろうと思っていたキャラクターに違和感がない。幼稚園児みたいな大学生はぐが実写で自然に観られるとは思わなかった。
ポスターを見た感じでは、キャラクターがあまりに「ハチクロ」のイメージにはまっているので、逆に漫画の表面上のストーリーに捕らわれた退屈な映画になっているんじゃないかと思ったけど杞憂だった。
原作のストーリーは解体されてほとんど新しいエピソードで構成されているけど、話を突き動かしていた力はほぼそのまま再現されているように見えた。


洋画で登場人物が多少不自然な表情をしてもしぐさをしても、元々自分とは切り離された世界なので、そういう物なのかなと思って観ていられる。だけど、邦画だとちょっとした不自然さに違和感を感じてしまう。だから邦画を観る時は、だいたいまずその不自然さに慣れるところから入らなければならない。
ここ1,2ヶ月は邦画もそこそこ観たので見慣れてきたためなのか俳優達の力量なのか、この映画では久しぶりに自然な日本人の登場人物を観た気がする。自然って言うと違うのかな、リアリティがあるというのではなくて、自然に受け入れられる登場人物というか。
たぶん俺の言う「自然」は演技の善し悪しではないし、「自然」さがプラスになるかマイナスになるかも映画のタイプによるだろう。だから、「自然」が褒め言葉になるかどうかは場合によるんだけど、この映画の場合はたぶん「自然」さはプラスに働いている。


ただ、ひとつ気になるのは、なんとなく現在の出来事がすでに思い出という未来の視線に晒されている感じがすることだ。まあ、それはこの映画に限った事じゃないけど。そのあたりが今っぽいと言えば今っぽい。


「思い出作り」という言葉をたまに聞く。嫌いとまでは言わないけど、どうも抵抗がある。今うまい物を食べているのに「うまい」と感じるだけではなく「うまかった」と後で思い出す事を想像して、現在の出来事をあらかじめ過去形で観ている感じがする。今の自分を未来から第三者的に眺めているその感じは、今嬉しいはずの事も、今辛いはずの事も、生のまま味わわずにノスタルジーでコーティングしてしまっている。
この映画はそういう糖衣をうっすらと纏っている感じがする。「青春」なんて言葉はコーティングでもしないと、生のままじゃとても恥ずかしくて食べられないというのも分かるんだけど。そして、糖衣で包み込みきれずに予期せずあふれ出すものがある事も分かるんだけど。