「M:i:III」 監督 J・J・エイブラムス 

ファイナンシャルプランナー(FP)の難易度&合格率・マル秘勉強法
なぜか分からないけど、どのアクション映画でも車が吹っ飛ぶシーンが好きだ。それはこの映画でも例外ではなくて、成功するかどうか手に汗握るような緊張感のあるシーンより、海を走る一本の道路で車が吹っ飛ぶアクションシーンの方が好きだ。
鼻から突っ込む爆弾とか変装マスク製造機とか護送車の壁面を溶かすスプレーとか、スパイものっぽい小道具もなかなか意表を突かれて面白い。


見てちょっと時間が経ってしまったからかもしれないし、俺がストーリーを理解しきれなかったからかもしれないけど、この映画のストーリーをきちんと思い出すのは意外と難しい。けど、俺が興味を引かれたのはそのストーリーだ。その身のなさ。ぼやかし具合。見ようによってはそこが欠点になるかもしれないけど、見ようによってはひねくれた味がある。どこまで意図的なものなんだろう。


最初から「ラビットフット」の奪い合いの話であれば、結局「ラビットフット」がなんなのか分からなくても、その空白を中心にして普通にサスペンス映画が成り立つ。ただこの映画の場合、元々イーサン達が興味を持っていたのは謎の人物デイヴィアンだったはずだ。そしてもし最初からデイヴィアン暗殺を計画していたら、もっと事態はシンプルだったろう。それでもあのラストでめでたしめでたしっていうのは、あの状況だったら仕方ないって事なのか? 裏切り者が分かったからそれでいいって事なのか? 結局、デイヴィアン自身の姿は何度も画面に登場するものの、その素性は少なくとも観客には謎のままだ。
そして、これもまた素性の分からない「ラビットフット」は、たまたま途中で浮上してきた脇役的な小道具に過ぎない。しかし、いつの間にか映画の重心はデイヴィアンから「ラビットフット」に移動している(ように見えた)。


そうだ、そう感じるのはたぶんあの冒頭シーンが原因だ。映画の後半にある、デイヴィアンがイーサンを脅して「ラビットフット」のありかを尋ねるシーンが、わざわざ冒頭で観客に見せられる。冒頭で「ラビットフットはどこだ!」とやられたもんだから、「ラビットフット」が中心にあるような気がしてしまったのかもしれない。
あのシーンはなぜ冒頭にあるんだ?あのシーンは、この映画の肝を開巻早々明かしてしまう。デイヴィアンとイーサンが対立する事、イーサンが捕まってしまう事、奥さんも捕らわれてしまう事、「ラビットフット」の存在、「ラビットフット」をデイヴィアンが手に入れてない事。この映画の中心が、なぜか冒頭にある。
この映画のストーリー的な側面の中心がぼやけたまま定まらないのは意図的なものなのか? 俺の理解力の問題か?いずれにせよ、そのふらふら感に面白味を感じた。