「デメント」

デメント

デメント

クロックタワー3」があまりにも物足りなくて、また続けて別のに手を出してしまった。最近「クロックタワー3」とか「rule of rose」とかよく似たゲームをやったけど、唯一このゲームだけ満足感があった。単調さを感じずに進める事ができて面白い。
アイテムを見つけて使う場所を見つけて前進、アイテムを見つけて使う場所を見つけて前進。この手のゲームはこれの繰り返しで、「デメント」も同じといえば同じなんだけど、少しづつ変化が入っている。前回こうだったから今回もこうだろうと予想していると結構裏切られる。
それから、地図は広くないけど複雑というのも良かった。画面で地図は見られるんだけど、部屋と部屋が扉でつながっているのか、行き来できないのかまでは分からない。どことどこがはしごでつながっているのかも分からない。なので、地図を見てその部屋を思い出しながら移動ルートを考える。この作業が面白かった。まあ、適当に移動していればどうにかなっちゃう程度の広さではあるんだけど。どうせならもっと巨大迷路にしてくれた方が良かったなあ。
このゲームのイベントシーンの監督は竹中直人。でもあまり印象に残っていない。そもそもゲームに物語なんかいらないような気がするんだよなあ。


このゲームで主人公は犬を引き連れている。主人公は自分で操作するわけだけど、犬には命令を出せるだけで、直接自分では操作できない。
感情移入という点で、どうもこの二つの違いが大きいような気がする。
もしエンディングで、物語の上で(自分の操作ミスとかじゃなくて)この犬が死んでしまったら、それなりに悲しい気分になるだろうと思う。だけど、もし物語の上で主人公が死んでも意外と悲しくないんじゃないかという気がする。犬は、プレイ中でもイベントムービー中でも、自分が操作できない「他人」としてずっと存在しているので、「他人」という認識はずっと変わらない。けど、主人公に関しては、プレイ中は自分が操作できるので「自分」という認識なのに、イベントムービーになると操作できない「他人」になる。
その意識の切り替えが主人公の物語への感情移入を阻害しているような気がするなあ。
もしかしたら感情移入するには、まず「他人」であることが必要なのかな。自分に感情移入するってどういうことだろう。
うーん、そうか、「自分」じゃなくて「自分の役」だな。ゲームの主人公は「自分」でもなく「他人」でもなく、「自分の役」なんだな、たぶん。
だけど、挿入されているムービーでは主人公も「他人」として描かれる。映画や漫画のように主人公を対象として描くのではなく、主人公の目線だけでムービーが作られていたら、もしかしたら意識の切り替えがあまりなくて「自分の役」にもっと感情移入できるのかもしれない。