「ロシアン・ドールズ」 監督 セドリック・クラピッシュ

「ロシアン・ドールズ」公式サイト


きれいにデザインされた雑誌のような視覚的な感触は、この映画でも健在で心地よい。まったく何も知らず期待せずに観ていたら楽しめたのかもしれない。ただ、俺の中ではクラピッシュという名前だけで相当期待してしまうんだけど、内容がその期待ほどではなかった。
青春やモラトリアムを扱ったものは好きだ。この映画にある煮え切れなさも、それはそれでいい。だけど、そういう映画に俺が本当に期待しているのは、未知のものに手を伸ばすためらいだとか、自分を見失ってしまうくらいに沸き上がる喜びを持て余している姿だ。ロマン・デュリス演じる主人公の歳は30だ。30にもなったらそういう初々しさがなくなるのは仕方ないのか。


主人公の逡巡の中心は、どの女を選ぶかだ。それが自分の生き方への逡巡に繋がるのかと思いきやそうならず、結局ただの女選びの話に留まってしまった感じがする。
題名のロシアン・ドールズとはマトリョーシュカの事だ。この例えがよく分からないんだな。主人公は関係した女たちをロシアン・ドールズに例えて言う。「1つずつ開けながら、これで最後か?と自問する」。そして、そのまま延々と自問し続けることを肯定するような結末を迎える。決める必要のない人生の問題についてならそれもいいだろう。けど、人生には決めなくてはいけない問題もある。マトリョーシュカを女に例えてしまうとちょっと違ってしまうような気がする。それなら最後の人形があるわけじゃなくて、その人形が最後かどうかは自分が決めるんだ。


これを観て思い出したのは、前に書いた事がある村上春樹の短編集「東京奇譚集」に入っている「日々移動する腎臓のかたちをした石」という短編だ。完璧な相手なんていない。そういうテーマはこの映画と通じている。
もし、自分の一生で出会う女をあらかじめ知る事ができて、その中からベストを選べるのならこんな楽な事はない。しかし、残念ながら人は時間の流れに縛られている。この先にどんな人と出会うかは分からない。過去に戻る事もできない。できる事は、その一瞬一瞬で一番いいと思える行動を決める事だけだ。


前作「スパニッシュ・アパートメント」のストーリーを良く覚えていなくて、主人公ロマン・デュリスオドレイ・トトゥが別れたのも覚えてなかったんだけど、あれだけ親密なのになぜよりを戻さないのかが不思議だ。