「ナイロビの蜂」 - 打楽器が刻む強靱なリズム

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監督 フェルナンド・メイレレス


予想を遙かに超えて面白かった。大企業が非人道的な方法によって金を生み出すという話自体は、物語の背景として新鮮味もないしあまり興味も持てない。なのに引き込まれる。
たぶん主人公の行動の根本にあるのは妻の死だ。妻の死をあいまいなままにしたくないという気持ちが原動力だ。大企業や国相手の義憤じゃない。そういう意味でやはりこれはラブストーリーであるし、同時に恋愛をエネルギーにしつつその行動の過程は社会派ミステリーでもある。この2つの側面が、互いにどちらかに吸収されることなく支え合ったままラストを迎える。もし話の途中から、大企業や国の暗部を暴くための行動になっていたらたぶん途中で飽きていたろう。この映画はそうは転ばずにラブストーリーであり続けた。


この映画の原題は「the constant gardener」と言う。劇中で、「君は庭いじりばっかりしていた」と主人公が揶揄されるようなシーンがあったと思うけど、たぶんそんな感じのニュアンスの題名なのだろう。周りで何か起こっていてもいつも庭いじりしていて気付いていない、あるいは見て見ぬふりをする。面白いと思うのは、レイフ・ファインズが、最後までconstant gardenerであると感じさせられることだ。最後に近い、子供を飛行機に乗せる乗せないでもめるシーンでそうじゃなくなる瞬間が少しだけ訪れるものの、他の大胆に見える行動は、アフリカのためとか社会のためといった他人のための行動ではなく、妻を含んだ自分の世界のための行動だ。その姿が、この映画をありきたりさから遠ざけている。
確かにアカデミー賞を獲ったレイチェル・ワイズが、このラブストーリーに説得力を与えているのかもしれない。けど、この映画の要はレイフ・ファインズのキャラクターのような気がする。


この映画を退屈にしていない要素はストーリーだけじゃない。人物のアップ、物のアップ、そういう対象物への過剰な接写によるせわしない動きが強靱さとリズムを感じさせる。一歩間違えればあざとさが鼻につきそうなそんな描き方が、まるで打楽器のように物語を刻んでいく。そして静かな気持ちの芯の部分のたくましさを引き出す。