「アワーミュージック」 監督 ジャン=リュック・ゴダール

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意味の分からないものは好きなのでいろいろ考えながら面白く見る事はできたけど、結局ゴダールが何を見せようとしたのかは分からない。久々にパンフレットを買った。シャンテのパンフレットにはシナリオが収録されているので、思い出すにはすごい便利だ。注釈もたくさん入ってるし。
構成はダンテの「神曲」に基づいている。たぶんそこを糸口に考えていくのがいいだろう。


いろいろ分からない事がいろいろあるので、まず調べてみる。


神曲
神曲 - Wikipedia
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0913.html
手元にもあるが、この本はドレの挿絵がメインのダイジェスト版みたいな本なので、多少オリジナルとは違うのかもしれない。
映画も「神曲」も、地獄篇・煉獄篇・天国篇の3部からなる。「神曲」はイスラム教では禁書になっているそうだ。映画の大部分を占める事になるのが煉獄編だが、煉獄ってなんだ?


煉獄
煉獄 - Wikipedia

天国に行く前段階っていうのがあるのか。天国に入る前に罪を消すための場所らしい。


気になるのは、3部はそれぞれ王国1,2,3と名付けられている。少なくても手元にある「神曲」には王国というのは出てこない。
実際の画面で、なんというフランス語の単語が書かれていたのか確認しなかったが、ここで言う王国は、英語のkingdom, 神の国というような意味なのか?
http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?p=kingdom&stype=0&dtype=1
天国のこと -無宗教無神論者なもので、宗教に明るくありません。でも、- その他(暮らし・生活・行事) | 教えて!goo
Bible Basics Study 5.1 - Defining the Kingdom

まだぴんとこないなあ。少なくても「アワー・ミュージック」では、王国1が地獄、王国2が煉獄、王国3が天国という事になっているけど、どうもキリスト教で王国というと、神の国、天国を指しているみたいだ。


トロイ戦争、ホメロスが何度か登場する。

トロイ戦争
トロイア戦争 - Wikipedia
ホメロス
ホメーロス - Wikipedia
ホメロスは、ギリシャの詩人であり、トロイ戦争についての叙事詩イリアス」を作る。まだ背景がよく分からないけど、とにかくギリシャ勢対トロイ勢であり、「イリアス」の主人公は、ギリシャ側のアキレウス。という事はトロイ戦争に関しては勝者側?

映画に出てくるセリフの背景がやっと理解できた。

「私はトロイの詩人を捜しています。トロイ側からは何も語られなかった。だが、偉大な詩人がいるからといって、詩人のいない国を負かす権利があるのか。敗北は詩人の不在ゆえなのか、詩とは将来への命題か、あるいは権力が使う道具の一つなのだろうか」


ゴダールの問題意識がどこにあるのか知らないと理解するのは厳しいのかもしれない。

ゴダール
ジャン=リュック・ゴダール - Wikipedia

分断と再構築ねえ。分かったような分からないような。いや、分断して再構築してるなっていうのは分かるんだけど、それによって何を表現しようとしているのかがいまいち見えてこない。
たぶん、分断と再構成というのは、映画が映し出せるものの限界を超えたものを映し出そうという試みなのだろう。
たとえばヤフオクで何か出品する時、出品物をいくつかの角度から撮った写真を載せる場合がある。1枚だけではその出品物の一面しか表現できないからだ。写真を何枚使っても、実物を目の前にするのと同じものは表現できない。それでも、一枚よりは複数枚あれば、頭の中でより実物に近いものが想像できる。きっとそういうことを映画でやろうとしているのだろう。


イスラエルパレスティナは、ちょうど「ミュンヘン」について書くときに調べたところだったので背景はある程度分かったけど、今度はサラエボか。ボスニア紛争については「戦争広告代理店」を読んだ時にだいぶ分かった気になったんだけど、もうすっかり忘れてしまった。

サラエボ
サラエヴォ - Wikipedia


この映画に出てくる「私たちの音楽」が、詩、叙事詩とだいたい同じものを指しているとすると、「私たちの音楽」とはホメロスの「イリアス」やダンテの「神曲」に対応するような、パレスチナ問題やボスニア紛争を扱った映画が、私たちの音楽ということだろうか?さらに言えば、この映画が「私たちの音楽」という事だろうか?


インディアンがたびたび出てくるが、少数民族の代表という事だろうか?


ラストで登場する本はデヴィッド・グーディスの「ストリート・オブ・ノー・リターン」。
http://www.walkerplus.com/movie/kinejun/index.cgi?ctl=by_name&id=12113

「ストリート・オブ・ノー・リターン」と言うとサミュエル・フラーの映画しか知らなかったが、デヴィッド・グーディスはいくつか有名な映画の原作を書いている人だったんだ。


さて考えていこう。少し離れたところが繋がっていたりするからまとめられそうもない。とりあえず思い付いたところから書いていくしかないな。


神曲」では作者ダンテが、ヴェルギリウスに案内され地獄と煉獄を、ベアトリーチェに案内され天国を旅する。「アワーミュージック」が、もしそこまでなぞっているとしたら、ゴダールが地獄、煉獄、天国を旅したという事なのか?案内役は?
途中「私の横に誰かいる。イメージがぼやけている」というセリフが2度出てくる。この誰かというのが案内役なのか?とすると、オルガがダンテ役?


地獄編では数々の戦争の映像が映し出される。どれがドキュメンタリーでどれが映画の映像かも分からない。それでも、地獄と戦争というのはあまり考えずに結びつけられる。
問題は煉獄と天国だ。煉獄編の舞台は、戦争の跡が生々しいサラエボだ。なぜそこが煉獄なのか。場所はあまり問題じゃないのか。
天国は?なぜあれが天国?


ボスニア紛争パレスチナ問題がどうもごちゃごちゃ混ざってしまう。
今もう一度シナリオを読み返してみると、舞台はサラエボだが、語られるのは主にパレスチナについてだ。


煉獄編ラストでは、ユダヤ系フランス人であるオルガが、エルサレムでテロを起こし(本当にその気があったかどうかは不明だが)、狙撃される。パレスティナ人が事件を起こすのなら分かり易いが、ここはそうではない。オルガは同胞の土地で、同胞に対し「一緒に死んでくれ」といい、同胞に狙撃されるのだ。少し前の部分で、「裁かるるジャンヌ」の「それは私の殉教です」「私は天国にまいります」というセリフが引用されている。もしかしたら、オルガはジャンヌ・ダルクと重ね合わせているのか?
煉獄編と名付けられているのは、オルガがこれで罪を償い天国に入る準備が出来たという事なのか?


分断と再構築、切り返し、パレスチナ、橋、不確定性原理
たぶん見方を問題にしている。ある出来事や状況は、見方によってその様相を変える。現実と想像の切り返し。ハイゼンベルクの名前を出すところが面白い。
不確定性原理
不確定性原理 - Wikipedia


ゴダールは「デジタルカメラで映画を救えるか」と質問され、何も答えない。オルガは、デジタルカメラで撮った映像をゴダールに渡す。


なぜラストで、アメリカのハードボイルド小説作家二人を登場させたのか。ラストのセリフは、「さらば、愛しき女よ」の最後の文章だそうだ。確認してみると確かにそうだ。原文のヴェルマという女の名前が、映画ではオルガに置き換えられている。題名になっている「さらば、愛しき女よ」の「女」がヴェルマなのだが、それがオルガに置き換えられている事は、オルガに対して「さらば、愛しき女よ」と別れの挨拶をしているとも受け取れる。でも、なぜオルガ自身がその言葉を?そこには深い意味はない?


なぜ天国はアメリカのイメージで彩られているのか。


どうもまとまらない。この映画の軸はいくつかあるように見える。
一つは戦争。争い。
次は「切り返し」という言葉に代表されるような、異なる側面、異なるものの対置。パレスチナ問題。現実と想像。
もう一つは、オルガの行動。なぜ死に向かったのか。オルガの死にはどんな意味を持たせているのか。
これらは繋がりそうで、繋がりがよく分からない。どう繋がるのか。


「アワーミュージック」をしばらく「hour music」だと思っていて、時間の音楽ってなんだろうと思っていた。映画の中で「私達の音楽」という言葉が出てきても、まだしばらく「our music」をカタカナにしたものだと思い至らなかった。なぜフランス語でも日本語でもなく、英語をカタカナ表記にした題名なんだろう。


もうこのへんでギブアップだ。いろんな人の批評や感想を読みに行こう。