「グラモフォン・フィルム・タイプライター 上・下」 フリードリヒ・キットラー 著

グラモフォン・フィルム・タイプライター〈下〉 (ちくま学芸文庫)
グラモフォン・フィルム・タイプライター〈上〉 (ちくま学芸文庫)
・文章をどこまでそのまま受け取って良くて、どこまでがただのレトリックと解釈した方がいいのか迷う部分が俺には多かった。
・グラモフォンのところは工学的な知識が背景になっていて、その辺はどうにか内容を追いかけていけたんだけど、フィルムとタイプライターのところは、思想的な知識、特にラカンフーコーの知識が背景になっているようで、途中で話が見えなくなってしまった。
・途中で話が分からなくなった俺が言うのもなんだけど、この本はすこし衒学的過ぎるんじゃないかなあ。ある程度話が見えていたグラモフォンの部分に関して言えば、あんなに具体的に工学的説明をする必要があるようには思えない。
・フィルム、グラモフォン、タイプライター。どれもそれぞれ決定的な意味を持っているらしい。
フィルムとグラモフォン、つまり蓄音機は時間を記憶する。人類史上初めて時間を記録、再現できるようになった。と言われれば、まあ、確かにそうだわなあとは思うのだけど、あまりに身近にありすぎてそういう凄さはいまいちぴんと来ないんだな。あるものが存在することの驚きを実感するには、それが存在しない状態を実感できる想像力が必要なんだな。「失って初めて分かる」というのは頻繁に聞く当たり前なフレーズだけど。
・タイプライターの説明もぴんと来ない部分が多かった。そもそもタイプライターや文字の存在の意味合いがヨーロッパと日本とでは違うように感じた。
書く事が男性的なものとして扱われているのだけど、日本ではちょっと違うよな?
紫式部やら清少納言やらいるし、平仮名はそもそも女性が使うものだったというし。少なくても俺の中では文字というのはむしろ女性的な感じがするんだよな。直接話せないから文字にするみたいな。
・まあ、とにかくよく理解できなかった。