「サッカーが世界を解明する」 フランクリン・フォア 著

サッカーが世界を解明する
かなり大きく出た題名だけど、「世界」という部分に関してはあながち大袈裟でもない。この本ではロンドン、ミラノ、バルセロナといった都市のメジャーチームのみならず、ベオグラードグラスゴー、ウィーン、リオ・デ・ジャネイロ、リポフ、テヘラン、ワシントンなどの都市のサッカーチームとその環境について書いている。
題名の「解明する」という部分は少し違うかもしれない。書かれているのは、民族対立、宗教対立、グローバリゼーションといった問題の影響をサッカーが大きく受けていて、また逆にサッカーも大きく影響を与えているという事だ。


ただ、土地ごとに取り上げられているテーマが違うのでちょっと頭が整理できていない。ここに出てきたような都市ではサッカーが生活と密接に結びついてるということはよく分かった。だからサッカーチームの存在は経済的にも重要だし、完全に政治的な存在だ。
グローバリズムとサッカーの関係は? 何か書いてあったと思うけど印象がぼやけちゃってよく覚えていない。


この本の内容を理解するには少し知識が必要だ。
たとえば、レッドスター・ベオグラードについて書いた章はバルカン半島の情勢を知らなければぴんと来ない。
バルカン半島 - Wikipedia


グラスゴー・レンジャーズについて書いた章はスコットランドアイルランド、イギリスなどの関係、特に宗教的な歴史について知らなければぴんと来ない。
イギリス - Wikipedia

スコットランド人やウェールズ人には、民族的アイデンティティを無視した単語として"British"と呼ばれることを嫌う人もいる(もちろん彼らを"English"と呼ぶのはタブーである)。

知らなかった。
この本の中でも一応説明はあるものの、「スコットランドってイギリスの一地方でしょ」くらいの知識で読んでた俺には、グラスゴーのダービーの日には数千人の北アイルランド人が移動すると言われても、それがなぜなのかよく分からない。


あるいはFCバルセロナレアル・マドリードの対立は、カタルーニャ対スペインというだけには留まらず政治的思想の対立でもあるらしい。この本によると、

バルサの世界主義的国家主義は根深い。国の文化の一部であり、クラブ創設時の精神の1つでもある。

とのことだ。
ああ、そういえばセドリック・クラピッシュの「スパニッシュ・アパートメント」でもこんな話が出ていたような気がするけど忘れた。勘違いかもしれない。
カタルーニャ州 - Wikipedia



興味深かったのは、アメリカではサッカーの階層構造が逆転しているという話だ。どこの国でも基本的にサッカーは労働者階級のスポーツなのに、アメリカだけは中流階級かそれ以上の、伝統に反抗するインテリ層が選ぶスポーツだという。これは俺の印象にすぎないけど、日本もそれに近いものがあるような気がする。なんとなくサッカーのイメージが漂わせるヨーロッパの香りに惹かれる層に支えられているような気がする。


日本でのサッカーの熱狂と、他の国でのサッカーの熱狂が違うことはよく分かった。他の国の熱狂は、民族対立や宗教対立の象徴がサッカーにあるからだ。日本では、サッカーはただのスポーツでしかない。それは少し物足りない気はするけど、幸せなことなのかもしれない。安全地帯で対立の熱狂に憧れるのも贅沢な話だ。もっとも、俺はよく理解できなかったけどグローバリズムに関してはすでに巻き込まれているのだろう。