「ユナイテッド93」 監督 ポール・グリーングラス

小顔エステの人気ランキング2019年版 - United93


あまりの面白さに戸惑う。この面白さをどう解釈したらいいのか。
最後に映画館で泣いてしまったのはいつだろう。もう記憶にない。たぶん10数年前だ。その時から数百本、もしかしたら千本近い映画を観ている。「ユナイテッド93」を観たという体験は、いつもの映画を観る行為とは少し違った特異な体験だった。


誇張されていたり新解釈だったりしてフィクションの要素が入っているとまた違う場合もあるんだけど、基本的に事実に基づいていることを売りにした映画はあまり好きじゃない。リアルタイムで知っているカート・コバーンをモデルにしたガス・ヴァン・サントの「ラストデイズ」に至っては嫌悪感すら感じた。
この映画もけなすことになるのだろうと思いながらも、9.11からたった5年しか経っていない今、どう商業映画として処理されているのかという興味に負けて観に行った。また、あれからアフガニスタン侵攻やイラク戦争を経て、今、あの事件は急速に過去の記憶になりつつある真っ最中だ。この映画は1年後、2年後に観たのでは印象が変わるだろう。そういう意味でも観るなら今観なくてはならないという気持ちもあった。


ところが観てみると予想に反して面白い。描かれるものはシンプルだ。ほぼ、飛行機の中の様子、管制塔の様子だけだ。たぶん、フィクションのサスペンス映画だったら地上にいる乗客の家族などが映し出されてしまい、余計なドラマが挿入されているのだろう。なぜフィクションの映画はこんな風にシンプルに描けないのかと苛立つぐらいに、この映画はシンプルで緊張感に満ちている。過剰に乗客を英雄視して描くこともせず、過剰に犯人を悪役として煽ることもせず、この事件の外部への影響も描くこともせず、この事件の背景を描くこともせず、あくまでもハイジャック事件を描く。


俺はこの「ユナイテッド93」を娯楽として消費したのか。俺がこの映画の面白さに戸惑っているのはその点だ。


実際の出来事を基にした映画を観ると、いつもフィクションと現実の乖離を感じてしまう。例えば戦争映画で描かれる悲惨さに心を動かされたとしても、それは戦争を体験していない。娯楽として消費しただけだ。そこには現実とフィクションの乖離がある。
俺が事実を基にした映画を好きになれない理由はいろいろあるのだけど、その一つにはこの乖離にあるかもしれない。制作者達がどういう意図で作っていたとしても、心を動かされれば俺は面白いと感じ、そこで描かれていたものは娯楽と化す。
乖離を感じながらも割り切って面白いと感じることができる映画もある。面白いと思いながら娯楽に貶めてしまったことに反感を感じる映画もある。しかし、「ユナイテッド93」の場合はどちらでもなく、映画という作りものと現実との乖離をほとんど感じることがなかった。世界貿易ビルに小型機が突っ込んだという報道を見ている管制官達を観ながら、志村けんの後ろに迫るおばけを見て「志村、後ろ後ろ!」と叫ぶ子供の気持ちに戻って「小型機じゃないよ!」と心の中で叫んでしまう。この例えは10代、20代の人には分からないか。まあいいや。
とにかく、それだけ自分がすでに知っている現実と、今観ている疑似的な再現にすぎない世界が溶け合い違和感なく頭の中で繋がっていた。


俺が娯楽として楽しんだのは確かだ。ただ、そう割り切ってしまえれば、なにも戸惑うことはない。しかし、実際にはそれだけじゃなかった。あの事件を追体験したというと大袈裟だけど、実際の記憶も手伝ってそれに近い体験をしたような気がする。


あの事件の直後、貿易センタービル跡で記念写真を撮る観光客を非難する記事を何かで読んだ。その倫理観は理解できるけど、もし現地に行ったらたぶん俺も記念写真を撮りたくなるだろうと、その時思った。しかし、地下鉄サリン事件の現場で記念写真を撮るなんていうのは気色悪さを感じる。つまり、9.11の事件はたぶんその時でさえ、半ばフィクション、自分と切り離されたものとして見ていたのだろう。
そして今、たぶん、今貿易センター前で記念写真を撮る観光客を非難する人はいないだろう。広島や長崎の記念公園で記念写真を撮る人を非難する人がいないのと同じように。レベルが違うとはいえ、9.11も確実に生々しさを失い、風化しつつある。
今回の俺の感じ方は、そういった距離感と時間による生々しさと風化のバランスが生んだものだったんだろうか。


たぶんこの映画は今年のベスト1だ。2000年代10年を代表する1本にさえなるかもしれない。しかし、これを他の「普通の映画」と同列に比較してしまっていいものか迷う。