「エドワード・サイード OUT OF PLACE」 シグロ編 佐藤真/中野真紀子 著

エドワード・サイードOUT OF PLACE

エドワード・サイードOUT OF PLACE

この本は同名映画制作時のインタビューを集めたものだ。映画は結局見逃してしまったけど、見なくて良かったのかもしれない。エドワード・サイードの本は一冊も読んだ事ないし、どんな考えの人なのかもほとんど知らない。ある程度知らないと見ても仕方ないような気がする。
この本はサイード入門書と紹介されている。けど、この本にサイードの思想はほとんど紹介されていないと言っていいだろう。
イードと関係している人やパレスチナに関係している人のインタビューだけで構成されていて、各々がサイードをどう評価しているかが語られている。なので、サイードの思想についてはあまり分からないけど、サイードという人がどのように位置づけられているかはなんとなく見えてくる。口語で難しくない文章で読めて、ある程度相対的な位置づけを知る事ができるという点で入門書といえるかもしれないけど、やっぱりある程度は知っている人向けだと思う。
ただ、それでもこの本は俺にとってとても興味深かった。まだ良く理解していないので状況証拠の域を出ないけど、最近気になっていた映画の傾向がこの本によってガチガチッと結びついたような気がする。


傾向というのは、最近有名な監督の作品に「家庭」、「家族」、「故郷」などを扱った映画が多い。それがどうもぴんと来なかった。それからアメリカ西部。それとパレスティナ。なぜ今故郷なのか、なぜ今西部なのか、なぜ今パレスティナなのか。もちろんこれらのテーマは昔からあるので、偶然かもしれない。しかし、何か共通の背景があるような気がしてならない。


この本の中で、イスラエルパレスティナ問題の重要なテーマとして「帰還権」が取り上げられている。たぶん、パレスティナ問題について考えようとしたら、「故郷」という設問は避けて通れないものなのだろう。


イスラエルアメリカがなぜこんなにも密接な関係があるのかはまだよく分からないけど、この本の中にはこんな一節がある。

論理的に考えれば明らかですが、パレスチナ問題の根幹にあり、その本質である帰還権の問題を解決できる枠組みはひとつしかありません。
にもかかわらず、現在パレスティナで進展しているのは、9・11以降にブッシュ大統領シャロン首相が交わした書簡にもとづいたご存知の事態です。

どんな事態になっているのか、俺はご存知ではないのだけど、ブッシュ政権下で何か変化があったようだ。


パレスティナ問題が重要度を増したから「故郷」の設問の重要度が上がっているのか、「故郷」の設問の重要度が上がっているからその題材としてパレスティナ問題が映画で取り上げられるようになったのか、その辺はよく分からないけど、「故郷」と「パレスティナ」を取り上げた映画は、底で繋がっているような気がする。


それから、この本によるとサイードは、コンラッドの小説「闇の奥」を取り上げているらしい。「闇の奥」といえばコッポラの「地獄の黙示録」の原作。そして「地獄の黙示録」は、「ニューワールド」を見た時に俺が連想した映画。
この本でインタビューに答えるノーム・チョムスキーは、何度か「アメリカの原罪」について語る

オリエンタリズム」と彼が呼んだものは、その一形態にすぎず、実際はもっと幅の広いものでした。西洋社会の文化水準を引き上げる一般的な効果は絶大なものがあり、その影響は永続的でした。それは彼だけが主張していたことではなく、一般的に起こりつつあった現象の一部でした。彼が直接かかわらなかったものに、例えばアメリカの原罪という問題があります。端的にいって、なぜわたしたちは、いまここにこうして座っているのか? イギリスの植民者たちがやってきたとき、ここにはすでに別の民が住んでいました。この人たちに、何が起こったのでしょう?

世界のほとんどの地域では、住民が均一で同質なわけではありません。たしかに日本では、おおむね同質です。アメリカでもそうなんですが、それは異質な者たちを皆殺しにしたからにほかなりません。

まあ、結局俺はチョムスキーの言葉を理解していないので、あくまでも状況証拠でしかないけど、何か今パレスティナ問題を取り上げる必然性あるとすれば、それと陸続きで哲学講師も務めるテレンス・マリックネイティブ・アメリカンの話を今取り上げる必然性があったんじゃないか?


それと、一端話はずれるが、JMMという村上龍がやっているメールマガジンで、冷泉彰彦という人がこんなことを書いているのをたまたま最近読んだ。
JMM | 村上龍電子本製作所(残念ながらウェブ上ではバックナンバーは読めないようだ)

一方で、中西部を中心とする宗教保守派に対する批判といいますか、論戦の姿勢はハリウッドにはありません。実は昨年の問題作『ブロークバック・マウンテン』にはそうした意味合いが秘められていますが、あれは台湾人(李安監督)だからできたことで、アメリカ生まれの人だったら、あんな形でカウボーイ文化に同性愛問題をぶつけることは相当な抵抗があったでしょう。

そうだったのか。俺が知りたかったのはそういう事なんだよ。「ブロークバック・マウンテン」がなんであれほど話題になったのかも、ぴんと来なかった。映像美はたしかにある。けど、ゲイの映画なんて昔からあるのになぜ問題作なのかと思っていた。けど、これを読んでやっと納得した。俺のあやふやな記憶では、ブッシュ大統領は中西部出身であり、宗教的に保守的であり、中絶反対であり、同性愛の結婚に反対している。ブッシュを支えているのも、そういう保守的な思想の人達だ。そういうアメリカの雰囲気においての問題作なのだろう。


少しこじつけ的なものも含めて、「家庭」や「故郷」を扱った映画、「ミュンヘン」、「ヒストリー・オブ・バイオレンス」、「アメリカ、家族のいる風景」、「ブロークン・フラワーズ」、「ニュー・ワールド」。(日本での公開日で)もう少し遡ると「宇宙戦争」、「ライフ・アクアティック」。
パレスティナ問題を扱った映画、「アワーミュージック」、「ミュンヘン」、「ランド・オブ・プレンティ」(未見だけど)。
西部を扱った映画、「アメリカ、家族のいる風景」、「ブロークバック・マウンテン」、「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」。


これらの映画の問題意識は、もしかしたらブッシュ大統領の政策を中心にしてすべて繋がっているのかもしれない。けど、何度か書いているようにその問題意識がなんなのかという肝心なところがまだ見えない。