「サンライズ」 監督 F.W.ムルナウ

サンライズ クリティカル・エディション [DVD]

サンライズ クリティカル・エディション [DVD]


ふにゃふにゃっとなる字幕の演出とかトリック撮影とか、予想に反して意外と娯楽作。サスペンス映画かと思いきや幸せな恋愛ものだったのか、と思ったら「郵便配達は二度ベルを鳴らす」な展開?と思いきや、やっぱり娯楽作。なにしろ昔の映画だし、途中で雰囲気が変わりっぱなしになるのもありだったのかもしれないとか考えて、どう展開するか読めず楽しめた。

以下、久々に無声映画を観たので、ほとんど「サンライズ」と関係ない字幕の話になってしまった。


横長の画面の映画に慣れているので、テレビと同じスタンダードサイズの映画を久しぶりに見たら、なんか縦に長く感じる。でもなんか見やすい。横長の画面は画面全体を一目で把握できないようにするための、アトラクション的な仕掛けだったのかなあ。そういえばどこかでそんな事を読んだ気がする。


それから、無声映画なので途中に挿入されている英語字幕のシーン以外で、余計な日本語字幕が出てこない。おかげで画面に集中できる。
日本語吹き替え版がある場合でも、俺はだいたい字幕版で洋画を観るんだけど、果たしてほんとにそれでいいのかなと思う事がある。字幕が出ていると、当然ながらそれを読む時間が必要だ。字幕が出ている間は、スクリーンは見ているものの字幕付近を見ている。つまり下手したら映画の半分以上の時間は字幕付近を見ていて、しかも見るのではなく読むという行為をしている事になる。さらにやっかいな事に、字幕付近を見ているのは字幕を読んでいる間だけじゃなくて、字幕が出ている間ずっと字幕付近を見ている。読み終わっても字幕が消えるまで字幕を見ている。他の人も同じかどうかは分からないけど、俺の場合はそうだ。
それはテレビで良く表示されるテロップでも同じだ。テロップを読まなくたって何を言っているのか分かるのに、テロップが出ている間はテロップを見てしまうし、テロップが消えるまで、視点はテロップから戻らない。なぜか文字は映像よりも強力だ。
なので、俺は普段映画を観る時、字幕を読み終わったら視点を画面の焦点の合っている位置、本来視点が行っているはずの場所にかなり意識して戻す。けど、映画に集中してしまうとそういう事を忘れてしまって、字幕付近をずっと見ているという事がある。他の人も同じなんじゃないかと思っているけど、もしかしたら視野の広さとか違いがあるのかもしれない。
でも、字幕を読んでいる間の映像の細かい部分、特に字幕から離れた位置の映像はかなりの人が見落としているんじゃないだろうか。例えば、セリフの言い始めで俳優が小さく意味深な表情をしていたら、かなりの日本人がその表情を見落としているんじゃないかという気がする。


なので、本当に映画を「観る」ためには、一度日本語字幕で観てから、もう一度今度は字幕無しで観ないと、少なくても俺の場合だめなんじゃないだろうか。けど、まだ観てない映画の方が興味があって、同じ映画を繰り返し観るという事はほとんどしないんだな。
最初から字幕なしで観るなんてセリフの存在を無視するようなことしたら、言葉の勉強にはなるだろうけど、理想の「映画を観た」状態からさらに離れる事になるだろう。
もし、映像を重視するなら字幕より日本語吹き替え版の方がきちんと映像を観る事ができるだろうし、単純に楽しむのも吹き替え版の方がより楽しめると思うんだけど、なんでほとんどの映画で字幕で公開されるんだろう。
字幕版だと「オリジナル」+「字幕」だけど、吹き替え版だと、「オリジナル」−「オリジナル音声」+「吹き替え音声」で、引き算が入るからオリジナルが損なわれる感じがするのかな。でもそれを言ったら、字幕だってオリジナルの画面に、オリジナルにないものを入れちゃうわけだし、字幕部分のオリジナル映像が損なわれているとも言えるし、かなり強引な手法のような気もする。
うーん、でもやっぱりオリジナルの声が失われる方がいやかな。