「ミュンヘン」 監督 スティーブン・スピルバーグ

日本の伝統文化である着物の知識を深めよう初めての着物ライフ〜着物の種類やきつけHowTo
これも見てから時間がたってしまった。だけど、これは考えたいテーマがいろいろあるような気がする。思い出せる範囲で書いていこう。
見る前に、かなりきつそうな映画だと身構えて見に行ってしまったせいか、予想したほどはきつくなかった。
率直な第一印象をまず書くと、まあ、なかなか面白かった、という程度だ。絶賛したくなるほどのインパクトは感じなかった。いつものように「ミュンヘン」の感想や批評のたぐいはまだほとんど読んでいないけど、それでも方々で褒められているらしいという事はいつの間にか聞こえてくる。どんな所を褒めているんだろう。


これは冷戦時代のスパイ映画のように楽しんでいいのか。あるいは、現代の世界に対するスピルバーグの何らかの回答を読み取る事が出来るのか。なぜ今パレスチナ問題なのか。
報復は報復を呼ぶとか、家庭や故国といったhomeを守るためにどこまで許されるかとか、テーマ的にはありきたりと感じてしまうようなことしか見当たらなかった。もちろん、テーマやメッセージと、映画の出来とは関係ない。高尚なテーマを掲げたつまらない映画もある。手垢の付いた新鮮味のないテーマについて改めて考えさせられる映画もある。
早急に答えを出そうとするのは止めておこう。なにしろこの映画を理解するだけの知識が俺にはなかった。中東とテロというだけでアメリカでの同時多発テロを連想してしまう程度だ。あのテロと、この映画の題材となっているパレスチナ問題が関係あるのかどうかもよく知らない。そもそもパレスチナ問題って何? まず調べてみよう。


パレスチナ - Wikipedia
なるほど、ウィキペディアの情報を読んだ限りだと、もともと住んでいた人達がパレスチナ人で、後からやってきて住みついてイスラエルという国を作っちゃったのがユダヤ人と受け取れる。ユダヤ人と追い出されたパレスチナ人との間でいがみ合っている。


イスラエル - Wikipedia
気になる記述がある。
第一次世界大戦ユダヤ軍・アラブ軍はは共にイギリス軍の一員としてオスマン帝国と奮闘し、……」とある。ユダヤ軍ってなんだ?それまでユダヤ人って国を持ってなかったという話からすると、世界各国に散らばっていたユダヤ人が集まって軍隊を作ったのか?

パレスチナ問題というのはパレスチナ人vs.ユダヤ人であり、パレスチナ人にはイスラム教徒もキリスト教徒もいるらしい。教徒対立と捕らえると、イスラム教・キリスト教連合軍vs.ユダヤ教となるという理解でいいのか?

アラブ諸国から見れば、2000年前に住んでいたという理由で勝手に押しかけてきたという主張がなされることもある。

ここまで読んできた内容だけで判断すると、この主張はもっともな気がする。もし、弥生時代に日本の土地に住んでいたという民族が今になって日本に押しかけてきたら、それは反発するよな。
でも逆に、もし今日本には日本人以外の民族が住んでいて、日本以外に住んでいる俺がなぜか「日本人」という自覚を持っていたら、どうだろう。「日本列島は俺たちの土地だぞ」という気になるかもしれない。

アラブ社会では米国はイスラエル寄りの政策を続けていると批判されることが多く、これがニューヨークでの9/11テロの原因となった。

唐突に9.11のテロが出てきた。やっぱりパレスチナ問題も関係しているのか。なぜアメリカはユダヤ人寄りなんだろう。それを知るにはアメリカの背景を知らないといけないのか? パレスチナ人にはキリスト教徒が含まれるとは言っても、パレスチナはアラブ寄りで、イスラエルアメリカ寄りらしい。


ユダヤ人 - Wikipedia
これもよく分からないな。民族としての「ユダヤ人」とユダヤ教徒としての「ユダヤ人」がいるらしい。日本人がユダヤ教に改宗すれば「ユダヤ人」と名乗っても間違いじゃないのか?


ミュンヘンオリンピック事件 - Wikipedia
映画に近づいてきた。押しかけてきたユダヤ人、つまりイスラエル人に対し、反発しているのがパレスチナ人で、そのパレスチナ人が犯したテロ事件の一つが、このミュンヘンオリンピック事件だった。イスラエル側が極秘裏に行った暗殺が「ミュンヘン」に描かれている。


同時多発テロ - Wikipedia
これだけだと、何を目的としたテロだったのかはよく分からない。


アルカーイダ - Wikipedia
おー、ちょっと繋がった。イスラム原理主義の系統に属し、反米・反ユダヤを標榜するらしい。けど、パレスチナ問題とは繋がるのかな? それとなんで反米・反ユダヤと、アメリカとユダヤは一緒の扱いになるんだろう。


複雑だなあ。直接的な発端は第一次世界大戦って理解でいいのかな?


映画を見る前は、ミュンヘンオリンピック事件自体を描いた映画なのかと思っていた。しかし、そうではなく、ミュンヘンオリンピック事件への報復を描いた映画だった。つまり、理由はどうあれ、この映画の中では加害者側の人間としてのユダヤ人が描かれる。自身ユダヤ系であり、「シンドラーのリスト」で被害者としてのユダヤ人を撮ったスピルバーグがこの映画を撮ったというところに、この映画の意図が読み取れるのかもしれない。
だけど、それでもやはり、この映画にあまり感銘を受けない事には変わりない。もし、主人公が最初に持っていた意志を最後まで貫き、悪役を完全に引き受けていたら、背景を知った時にもっと感じるものがあったかもしれない。
まがりなりにも加害者側として描かれてきた主人公が、後半自分たちの行動に疑問を持ち、生ぬるく舞台から退場した、というのが俺の印象だ。
うーん、あるいは、見ている観客が、もし映画前半で主人公達の行動は正しい、仕方ない、と思っていたら、後半の逡巡は生きてくるかもしれない。観客は、初めのうちは正しいと思っていた事が、後半でそうじゃないかもしれないと主人公と一緒に考えさせられるのかもしれない。
逆に言うと、もしかしたら「報復は正しい」と考えている人達、つまりは今のアメリカの軍事行動に同調している人達に向けた映画なのか?この映画がもう少し前にに撮られた映画だったら、「華氏911」や「チームアメリカ」と同時期の映画だったら、そういう解釈で納得しただろう。けど、2006年に公開された映画としてはどうなんだろう。アメリカの雰囲気ってまだそんなメッセージが必要な状況なのか? あるいはもっと普遍的なことを言おうとしているのか? あるいは、本当にイスラエルについてだけを問題にしているのか?あるいはスピルバーグの個人的な主題を扱っているのか?