「ジョゼ・モウリーニョ 勝者の解剖学」 パトリック・バークレー 著
- 作者: パトリックバークレー,Patrick Barclay,中島英述
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2006/01
- メディア: 単行本
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初めは翻訳のせいなのかと思ったけど、それだけじゃなくて、たぶん原文がこうなんだろうな。俺もあまり偉そうな事は言えないけど、この本の分かりづらさは酷い。
少し引用してみよう。
例えば、心理マネージメントについて書かれた部分。モウリーニョが選手の気持ちを鼓舞するために、相手チームについてすこし誇張した情報を選手に与えた、というエピソードが紹介される。そのあと1行空けて、次のように続く。
それが現実であれ、仮想であれ、彼は無駄な事は少しもしないのだ。多くのコーチがこうした手法を用いているが、モウリーニョほど効果的に実践してきたものはほとんどいない。
この後、改行もなく別人のエピソードが出てくる。後に続くエピソードが上の文の例なのかと思って読んでいると、話はもう見えなくなる。もう少し読んでからここを振り返ると、上の文は1行空きの前の段落と、たぶん次の次に書かれているエピソードを指している。つまり、1行空けるなら上の文の前ではなく、おそらく後だ。しかし、改行なしでこう続く。
サー・アレックス・ファーガソンを見れば、非常によく分かる。
(中略。ファーガソンのエピソード)
ファーガソンとモウリーニョがチャンピオンズ・リーグで顔を合わせた際、両者が大きく衝突したことにはなんの不思議もなかった。彼らは似たもの同士なのだ。
この分かりにくさは説明しづらい。「ファーガソンを見ればよく分かる」とは「ファーガソンを見れば、モウリーニョが効果的に心理マネージメントを行った事が分かる」という意味で捕らえるのが普通だろうと思う。そして、その後にその具体例が書いてあるのだろうと予測して読む。しかし、その後に書いてあるのは、ファーガソンとモウリーニョが似ているという事だ。モウリーニョとファーガソンのエピソードを見たから、2人が似ているという事が分かるのであって、ファーガソンを見てもモウリーニョの事は分からない。論理が逆になっている。
なんか、こう説明すると回りくどいけど、そういう分かりづらい論理的なおかしさが、延々と続く。しかも、時間も行ったり来たりする。監督になってからの話が続いているんだなあと思って読んでいると、いつの間にか通訳時代の話に移っていたりする。どこで切り替わったのか読み返してみると、さっきみたいな、わざと誤解させてるんじゃないかと思うような一文や改行や論理的な混乱が入っている事に気付く。
こんな感じで部分的に見てもおかしいのだけど、もう少し大きい単位でも、同様になんだかよく分からない繋がりを持っていて、重層的に分かりにくさを構築している。
それから、この本には、いろんな人のインタビューが紹介されているけど、モウリーニョ本人の言葉は、記者会見の言葉とか伝聞ばかりだ。本の帯には「主演ジョージ・クルーニー 映画制作決定」とか書いてあるけど、何を映画にするんだ?モウリーニョが主役の映画だったら、もうそれだけでこの本は原作とは言えないぞ?それともモウリーニョを知っている人達にインタビューしていく映画なのか?犯罪者をそうやって追っていくスタイルは面白いかもしれないけど、監督をそうやって追いかけて面白くなるのか?
ああ、なるほど。もしかしてモウリーニョが映画になるってだけで、この本が原作とは一言も言ってないって? そういうこと?
最近もう一冊モウリーニョ本が出たのでそちらに期待。そちらは著者に「with ジョゼ・モウリーニョ」と書かれてるぐらいだ。今度こそ楽しめるだろう。