「ニーチェ入門」 竹田青嗣 著

ニーチェ入門 (ちくま新書)

ニーチェ入門 (ちくま新書)

ニーチェ本人の本ではなく、あくまでも別人による解説であることを意識して読む。
この本によると、ニーチェの問題意識は、「人間が生きる目的」にあったようだ。神の存在を信じきれなくなった時の生きる目的は何か。
この本では、ニヒリズムキリスト教に依るもののように書かれている。当時のヨーロッパではそうだったのかもしれない。じゃあ、日本ではどうなるんだろう。日本での宗教がどのように捕らえられてきたか分からないけど、やはり「極楽」という考えはあったんだし、ニーチェが言うように、死んだ後を期待して今生をこらえるという考えはあったような気がする。そして、そういう考え方を「科学的視点」が殺してしまったことも共通と考えて良さそうな気がする。どうなんだろう。そんな単純に考えていいのかな。


科学は基本的に意味を剥奪する。出来る限り、感情や心を排除して論理的な因果関係を求めるものだ。量子の領域に入るとそうでもないみたいだけど、まあ、一般的に普通に感じられる世界の領域ではそのように言える。なぜ自分は存在するのか。両親がセックスしたから。それが科学的に正しい説明だ。
科学は、世界の身も蓋もない姿を見せる。そういう身も蓋もない視点というのは、十分に今の世の中に浸透している。科学は、科学的ではないと思われる神の不在を論理的に証明することは出来ないはずだと思うんだけど、科学が強力すぎてそういう視点は忘れがちで、科学的でないものは間違いだという考え方が浸透している。
そういう「科学的」ニヒリズムは、おそらく現代人はみんな多かれ少なかれ心に抱えているものだと思う。「死んだら終わり」「生まれてきたから生きる」


ニーチェの有名な考え「永劫回帰」がそうやって出てくる。俺の理解だと、物質の組み合わせは有限だから、いつか今と同じ組み合わせが回ってくる。つまり、今、この瞬間の判断は永遠に繰り返される。だから今生を大事にしろ。こういう話だ。
なんかこの思考実験に無理を感じるのは、俺の理解が正しくないからなのか、昔の思想だからなのか。
この本では、「永劫回帰」という思想を大前提として、つまり、その信じられなさ加減に目をつぶったまま、論を進めている印象を受ける。ただのモチーフや比喩のようなものとして扱っているのか?「永劫回帰」の思想からいろいろ説明されても、例え話の域を出ないと感じてしまうのは、俺が理解できてないからなのか?


後半はニーチェの哲学の紹介と言うよりも、ニーチェ思想再解釈という形をとった、作者の思想の説明になってくる。どこまでが本当にニーチェの思想で、どこからがこの本の作者竹田青嗣の思想なのかよく分からなかった。そのあたりでは主に「力への意志」について語られる。正直なところ理解できたとは言えないが、人間の「意味」や「価値」は欲望論的力学のうちに存在するという。なんとなくだけど、俺が「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」について書いた事と近い?


それにしても、西洋の考えを理解しようとすると必ずキリスト教にぶつかる。キリスト教自体について、もう少し知らないと理解が進まないなあ。