「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」 監督 マイク・ニューウェル

俺はこのシリーズにそんなに興味を持っていない。部分部分の演出は楽しいのだけど、なんか話に乗り切れない。まあ、子供向けだから仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないけど、楽しみきれないのは少し寂しい。
とは言いながら、それでもやっぱり見てしまうのは、1作ごとに1年、齢を重ねていくという設定と実際に大人になっていく俳優たちをリアルタイムで追っかけていく事に楽しさがあるからだ。


このシリーズは7作目で完結する事は決まっているらしいので、最初11才だったハリーも、最終話では17才だ。原作の方はもう6巻まで出ているらしいけど、まだ児童文学のノリを続けるのだろうか、それとも青春モノになっているんだろうか。どうせならもっと続けて、男と女の愛憎劇になったら面白いのにな。今作では思春期っぽさが出てきて面白かった。
俺はためらいとか戸惑いとか恥じらいとかが大好きなので、ダンスパーティのシーンは楽しめた。ただ、映画全体としてあのシーンだけちょっと浮いている気もする。妙にあそこだけ丁寧に描いているようだった。あのあたりがマイク・ニューウェルらしさと言えばらしさなのかなあ。無理に監督らしさを見つける必要もないか。


それにしてもダンスの相手を事前に自分で探しておかなければいけないというのは、ある意味残酷な決まりだなあと思う。俺は、相手を見つけられないロンに感情移入してしまうので余計そう感じるんだろう。けど、いずれ自力で「女の子を誘う」という試練を乗り越えなければいけないのなら、ああやって制度に後押ししてもらう方が実は楽なのかもしれない。「別に俺は誘いたいわけじゃないんだけど、仕方ないから」ってふりができるし。


今までの3作もそうだったんだけど、今作もなんか話が端折られてる感じがする。時々主人公たちの気持ちに変化について行けない時がある。あれは実際に原作の何かのエピソードが抜かされてるんだろうか。それとも俺が子供の気持ちの変化の速さについて行けなくなってるのか。


クリス・コロンバスアルフォンソ・キュアロン、そしてマイク・ニューウェル。この後、誰のハリー・ポッターを見る事が出来るんだろう。そういう楽しみもあることはある。


映画は、ビデオやDVDでいつでも見られる。本当にいい映画は数十年経ってから観ても面白い。いい映画は時代を超える。俺はそういう考え方はあまり好きじゃない。そういう考えはある面で正しいけど、見落としてしまっているものがある。俺は映画は生ものだと思っている。「ハリー・ポッター」シリーズを、完結してからまとめて見るのもいいだろう。それはそれで楽しみがあるだろうと思う。けど、その楽しみはリアルタイムで見る楽しさとは別だ。これは楽しさの種類が別だというだけで、どっちが良い悪いということじゃない。
10年前は面白く見られたのに、今見たら面白くない、あるいは10年経ったら評価が低くなったという映画は、果たして10年前にも価値が低い映画だったのか。そうじゃないと思う。賞味期限が切れただけだ。10年前の映画を見て、あれはダメな映画だというのは、賞味期限が切れた生鮮食品を食べて「まずい」と言っているようなものだ。本当の味を知りたかったら、新鮮なうちに食べなければいけなかったのだ。もちろん逆に寝かせてうまくなる食品もある。繰り返しになるが、どちらがいい悪いという事じゃない。しかし、映画に限らないけど、世間では寝かせてうまくなる食品の価値が高いように言われて、生鮮食品の価値が認められていないような気がして、なんとなく釈然としない思いがある。


うーん、これはちょっと話がずれてたかな。とにかく「ハリー・ポッター」は俺にとっては鮮度が重要な映画だ。5年6年たってしまったら、今見るようには見る事ができない気がする。