「脳と仮想」 茂木健一郎 著

キタ!クオリア!こんな言葉があったのか。おれがこの日記で書きたいのは、正に「クオリア」ってやつなんだよ、たぶん。この日記の題をクオリアに変えたいぐらいだ。実感近似という題も気に入ってるから変えないけど。
ただ、この本では「魂」とか「宇宙」とか少し壮大な話が出てくるので、この人が言っている「クオリア」と、俺が理解したと思っている「クオリア」のクオリアは少し違うのかもしれない。この人の他の本ももう少し読んでみよう。


この人はテレビにも出て有名な人らしい。という事は、「クオリア」という言葉も俺が知らなかっただけで、世間では広まっていたのか?

人間の経験のうち、計量できないものを、現代の脳科学では「クオリア」(感覚質)と呼ぶ。

赤い色の感覚。水の冷たさの感じ。そこはかとない不安。たおやかな予感。私たちの心の中には、数量化することのできない、微妙で切実なクオリアが満ちている。

ネバーランド」についてここに書いた時も、「アカギ」について書こうとして脱線した時も、俺が書きたかったのは、まさにこの本に書かれている仮想の切実さだ。
著者茂木健一郎は、このようなクオリアの存在について、また、いかに人間にとって仮想が必要なものかを語る。もちろん内容は、俺が漠然と感じていた事よりずっと広く、深く、科学的だ。
……科学的なのかな?この人自身は脳科学者ではあるけど、この本自体は「クオリア」に関してのエッセーのようなものだ。科学というよりも哲学に近い。人の認識や実感と、科学や数式との乖離に名前を付け、その存在と重要性を伝えるための本のようだ。


気になるのは、この人の研究目標は何か、という事だ。科学が、数量化できないからと言って切り捨ててきた部分に、この人は焦点をあてようとしている。最終的にはクオリアを数式化する事ができると考えているのか?数式化は無理にしても、クオリアというものを科学的に分析する事が目的なのか?科学的にと言っても、拠り所とするのは人の感情や感覚だ。それは科学になるのか?それは哲学とは違うのか?
詳しくは知らないけど、科学哲学という分野がある。「パラダイム」という言葉を生んだトーマス・クーンや、日本人では村上陽一郎が有名だ。「クオリア」の研究というのは、出自は違っても、この分野に入るものなのか?


あるいは新しい科学を作ろうとしているのか?


脳と仮想

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