(テレビアニメ)「ぱにぽにだっしゅ!」

今回もまたアニメの話。
前に、たまたま夜中に見て面白くて気になっていた「ぱにぽにだっしゅ!」というテレビアニメを、正月にまとめて見た。最初は、この手の絵に対する拒否反応があったんだけど、全話見終わる頃には登場人物達がかわいく見えてきた。感受性が少し開拓されてしまったみたいだ。ああ、オープニングの歌が頭から離れない。


話は、高校が舞台で、11才の少女の教師とその生徒達の話だ。前にたまたま見た回が一番わけが分からなくて面白かったかもしれない。このアニメの、わけの分からない事の面白さについても考えたいのだけど、今回は「かわいい」と言うことへの抵抗について考えてみる。
最初に登場人物たちがかわいく見えてきたと書いたが、こう書くことにものすごく抵抗を感じる。たぶんかわいいと認めるまでには、心理的に何重かの壁があった。


子供とか動物とかぬいぐるみに対して「かわいい」という時、その「かわいい」という言葉には(たぶん少なくても表向きは)性欲的なニュアンスは含まれていない。
それに対して、大人の女性を指して「かわいい」と言った時、性的なニュアンスをかなり帯びている。状況にも依るかもしれないが、とにかく動物やぬいぐるみに対して言う「かわいい」とは少しニュアンスは違う。


古い話しか今は思い出せないんだけど、もう10年ぐらい前、岩井俊二の「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」という映画(TVドラマ?)があった。その映画の中に、まだ子供っぽさの残る奥菜恵が塀の向こうで着替えるというシーンがあった。それを見て、ついその塀の向こう側を想像してしまうんだけど、その事になんか罪悪感を感じたのを覚えている。たぶん奥菜恵があと少しだけ年齢が高かったら、たぶんそういうものは感じなかったろう。当時まだたぶん中学生で、性的対象として見えるか見えないか、ぎりぎりのところにいた(ような気がする)。


そのくらいの年の女の子を「かわいい」と思った時、心理的に抵抗と葛藤がある。あと少しだけ若かったら抵抗はないだろう。それはぬいぐるみに対して「かわいい」というのと同じような、性的ニュアンスが含まれていない「かわいい」だ。逆にあと少し年齢が高くてもたぶん抵抗はない。その場合は性的ニュアンスを含んだ「かわいい」だ。含んだ、と言い切ってしまうと違うかな。性的ニュアンスを含むことも可能な、と言った方が正確かもしれない。
どちらにしても、「かわいい」と同じ言葉で表現されてても、それが意味しているものは違う。


ぱにぽにだっしゅ!」のキャラクタを「かわいい」と思う時に感じる抵抗感というのは、この感じに似ているような気がする。登場人物は11才の女の子と高校生の女の子たちだ。この娘たちは時々2頭身ぐらいになるんだけど、そうなると年齢の区別がつかないくらいに子供っぽくなる。それでいて、生徒たちはパンツが見えないのが不自然なくらいのミニスカートをはく。11才の女の子は、妙に大人びた服装をしている。
で、しかもアニメだ。劇画調ならまだしも、不自然に目がでかい、つまり幼い顔にデフォルメされた、子供っぽい顔をしている。
登場人物が完全に子供だったら、これもまた抵抗ないかもしれない。でもそうではなくて、幼さを前面に出しながら、女性的なもの(端的に言えばほとんどミニスカートと太ももだな)を見せつける。
「かわいい」と思った時に、そこに性的ニュアンスが明らかに含まれていなければ葛藤は生じない。あるいは逆に、明らかに含まれていても葛藤は生じない。けど、このアニメのキャラクタに対して「かわいい」と言った時、そこに性的ニュアンスを含んでいるんだか含んでいないんだか、はっきりしない。もし含んでいるとしたら、「含ませていいのか?」と自問したくなる。そこにたぶん抵抗が生まれるんだな。


これが「かわいい」と感じる事への壁の1つだ。けど、これだけじゃない。まだ壁がある。


男が、女性に対して「かわいい」と言っているのを聞くのは抵抗がないが、物に対してかわいいと言うのは、ものすごく抵抗がある。子供や動物に対して言うのはどうだろう、少しあるような気がする。
服やアクセサリーに対して、男が「これ、かわいくない?」とか言うのを聞くとなんだか落ち着かない。女の子が着たら、という前提があれば抵抗はない。けどそういうニュアンスなしに「かわいい」と言っていたり、自分が着たり身につけたりするものに対して「かわいい」と言ってしまうのは抵抗を感じる。


これはなんだろう。男が「かわいさ」を喜ぶ嗜好に気持ち悪さを感じる。かわいい物を身につけたい、つまりは自分がかわいくなりたいという欲求は、少し大げさに言えば嫌悪感すら感じる。意識してなかったけど、男はこうあるべし、というのが俺の中にあったんだな。


「かわいい」とはなんだろう。無力さ?
Yahoo!辞書
によると

1 小さいもの、弱いものなどに心引かれる気持ちをいだくさま。
愛情をもって大事にしてやりたい気持ちを覚えるさま。愛すべきである。「―・い孫たち」「出来の悪い子ほど―・い」
いかにも幼く、邪気のないようすで、人の心をひきつけるさま。あどけなく愛らしい。「えくぼが―・い」「―・い声」
2 物が小さくできていて、愛らしく見えるさま。「腰を掛けたら壊れてしまいそうな―・い椅子(いす)」
3 無邪気で、憎めない。すれてなく、子供っぽい。「生意気だが―・いところがある」
4 かわいそうだ。ふびんである。


そうだな、「かわいい」の長所は弱さとか無力さだ。「格好良さ」に惹かれる気持ちと「かわいさ」に惹かれる気持ちは、まるっきり逆方向を向いているのかもしれない。自分をかわいくしたいという気持ちは、自分を弱くしたい、さらには、弱いんだから危害を加えないでくれ、守ってくれ、という気持ちの現れなのかもしれない。女性の場合は、男を惹きつけようという気持ちもまじってるだろうけど。


で、「ぱにぽにだっしゅ!」の話に戻ると、実はこのアニメを見ていて、そういう「かわいさ」への欲求を自分の中に発見してしまったような気がするのだ。今思えば、それは「のだめカンタービレ」を読んでいた時にもあったのかもしれない。「のだめカンタービレ」について書いた時、男の方に感情移入しているわけじゃないと書いた。それは当たっていたが、それだけではなく、実は女の子の方のかわいらしさに少し感情移入していたかもしれない。


この嗜好は、女性になりたいという嗜好ではない。風俗的に言うなら、その嗜好は女装やゲイへと向かう物ではなく、SMとか赤ちゃんプレイに向かう物のような気がする。この手の話は得意としているわけじゃないので、もしかしたら違うかも。
とにかく、「ぱにぽにだっしゅ!」を見ておもしろいと感じる気持ちの中に、登場人物たちをかわいいと思う気持ちの中に、無力さへの憧れがあるのは確かなような気がする。