これを書くことについて再考

最近これを書かなくなった。年末で忙しいから、なんてことは全然ない。最近ついに買ったプロジェクタが醸し出す、「映画館」の雰囲気が予想以上に心地よくて、これを書く時間も睡眠時間も削って、夜な夜なDVDを見ているからだ。それと、これを書くことがなんか義務感のように感じてきて、すこし負担に感じ始めたこともある。サミーのパチスロ「アラジン」の新機種も出たし、これから年末にかけてますます書く時間が減っていきそうな気がする。で、ここに記録を残すこととかブログというものについて改めて考えてみた。


ありきたりな一般論だけど、改めて思うのは、やっぱり入力と出力は大事だなという事だ。映画を見たり本を読んだりする入力に対して、ここに書くことが一つの出力になるわけだけど、出力するためには、頭の整理が必ず必要だ。その整理された部分(適切に整理されるとは限らないけど)が足がかりとなって、次の考えに発展していく。見っぱなしだと、もやもやした知識と感情のぬかるみに足を取られて、自分の考えの立ち位置は動いているようで実はほとんど動いていない。
例えば、映画を見てあることに気付いた。見っぱなしだと大概それで終わっていた。延々と「気付いたこと」の周辺をばしゃばしゃと歩き回るだけだ。けど、気付いたことを書くことで、それを足がかりに、「それでどうなのか」という次の一歩に考えが及ぶ。そういう面では、映画を見る時間を減らしてでもこれを書く時間を増やした方が、考えを深めるにはいいのかもしれない。


とは言え、そもそもただの趣味なんだから、そんな面倒くさい事してないで、もやもやの中でばしゃばしゃしてればいいじゃん、という気もする。
まあ、この辺は書く書かないの二択じゃなくて、書くための時間をどのくらいにするかという程度の問題なので、とりあえずこれからも、0じゃなくて何かしら書いていきたいなと思っている。


これを書く面倒さがある一方で、これを書きたくなる欲求というのも湧いてくることが分かった。これは俺にとってはちょっと意外だったんだけど、日常のちょっとしたことも書き留めておきたくなってくる。今のところ実行してないけど。
これを書き始めた頃は、今日何食べたとかあの映画はつまらなかったとか、ほんとのただの日記のページを見て、この人達は何のために書いてるんだろうと思っていた。けど、今はそういうのを書きたくなる気持ちが分かる。とりあえず何か書いておけば、それを読みに来てくれる人達が必ずいる。具体的に、コメントとかトラックバックとかがなくても、何人かが来たという記録が、自分の書いた文へのリアクションだ。見に来た人は、なんだこれと思って一瞬でバックしているかもしれないけど、そんなことはこちらには分からない。そういうリアクションが、人と他愛のないお喋りをしている感覚に近く思えて来るのかもしれない。


それにしても、自分のページにどこのリンクからいくつ飛んできたかを見られるようにしたのは秀逸なアイデアだと思う。ブログサービスの多くで同じ事をしているようだけど、たぶんブログがこれだけ一般に広まったのは、簡単だからとかトラックバック機能とかだけじゃなくて、リンク元を見る面白さがあったからじゃないかという気がする。いや、俺が知らないだけで、ホームページのサービスでもそういう機能はあったのかな。
これは書く手応えを感じさせるし、検索ワードで世間の人気を実感できたり、意外な検索ワードを見たりできて楽しい。「後戻り」一語でこのページに来た人もいたけど、元々何を検索していたんだろう。うろ覚えの何かの題名だったのかな。
最初にあえてパチスロに触れたのは、「アラジン」でここに来る人はどのくらいいるのかちょっと見たかったからだ。「アラジン2エボリューション」は「takeshis'」や「ワンダと巨像」や「モニカ・ベルッチ」を超えられるか。そういったわけで、「アラジン」でここに来てしまった方、すみません。年末年始カモられてくるので勘弁してください。


俺はブログを、既存のメディアの延長で考えていた。つまり、人に読ませるものだと思っていた。だから人に読んでもらう価値が必要だろうと考えていた。けど、それは違ったのかもしれない。読んでもらうためじゃなくて、あくまで自分がおしゃべりするための、カラオケ的な自己満足ツールとして考えてもいいような気がしている。読む側、情報を探している側にしてみたらノイズでしかないけど。


いや、ノイズでもないのかな。そう捕らえるのもまた昔の考え方のせいかもしれない。「あの映画はつまらなかった」と、1行しか書いていないブログは、それ一つでは俺にとってはノイズでしかない。けど、これだけブログが氾濫していて、これだけ映画の感想が溢れていると、そのノイズの集まったものが一つの情報になる。検索で出てきたブログを10箇所見に行って8箇所でつまらなかったと書いてあれば、例えそれぞれは1行しか書いていなかったとしても、世間の評判というものがおぼろげながら見えてくる。
そういえば、俺が退屈だと思った「シン・シティ」は世間では評判が良く、俺が面白いと思った「ドミノ」は世間では評判悪いんだというのは、それで見えてきたんだった。


やっぱり書いてみることは大事だな。こう書いてみると「いまさら」って感じがしてきた。