「イサム・ノグチ展」と東京都現代美術館常設展示

彫刻の展覧会というのは今まで見に行ったことがない。立体的なものが好きなので、彫刻展も面白いんじゃないかと思って今回見に行ったんだけど、想像したほどは感じるものがなかった。抽象画は見ていて面白いと思うんだけど、それを立体にした抽象彫刻というのは、なんというか、俺の中の感受性が開拓されてない感じがした。


展示されているものの中に、公園の設計の模型があった。初め見た時は、やはりそこに面白さを見いだせなかった。けど、ふとゲームの設計もこんな感じでやるのかなと考え「ワンダと巨像」のワンダがそこを走っている光景を想像したら、とたんに面白く見えてきた。俺の場合、いったん頭の中で平面に変換しないと、鑑賞のための回路が作動しないみたいだ。


考えてみると、立体的なものを意識してじっくり見るということがあまりない。絵にしても、映画にしても、本にしても、コンピュータの画面にしても、テレビにしても、みんな平面だ。もちろん普段の生活は立体世界で問題なく行われてる。しかし、鑑賞するとなると、ただ全貌を把握するだけではだめなのかもしれない。平面の造形の面白さを感じる脳と、立体の造形の面白さを感じる脳は別物なんだろうか。


立体的なものが好きだと思っていたけど、本当にそうなのかな?もしかして、平面の中の擬似的な立体が好きなのか?うーん、どうだろう。頭の中で立体を組み立てるのが好きなのか?


こういうゲームがあればいいのにとたまに思う。あまりゲームのことは知らないので、もしかしたら知らないだけかもしれないけど。「トゥームレイダー」のような3Dの迷路で、無重力という設定だったらたぶんもっと面白くなる。前後左右だけじゃなく、上下にも自由に動ける設定で、前後左右上下の全方向迷路。自分が東を向いているのか西を向いているのか上を向いているのかも分からなくなるような迷路。あるいは時間で重力の方向が変わっちゃうとか。さっきまでは横の壁だったのが、時間が経つと床になったり、さっきまで曲がり角だったのが、落とし穴になったり。これはかなり頭をこき使いそうで面白そうな気がするなあ。頭ごっちゃごちゃになるなあ。たぶん設計するのが難しいな。


すっきりとしないまま常設展示を見に行く。それまでのもやもや感が吹き飛ぶような作品が続く。特にサム・フランシスの絵が印象深かった。あのサイズ。どのくらいあるのだろう。横幅は6,7mあるだろうか。そのキャンバスに絵の具をぶちまけたような絵。あれが本で紹介されていてもあまり惹かれないと思う。あれはきっとあのサイズだからいいのだ。きちんと美術を理解している人からすれば邪道かもしれないが、俺が美術に期待するものは美じゃなくて、インパクトと違和感だ。


宮島達男の「それは変化し続ける それはあらゆるものと関係を結ぶ それが永遠に続く」も見入ってしまう。これも縦横5mぐらいはあるだろうか。これは絵ではなく、数字を表示するLEDのようなものが数百個並べられている。それぞれの表示は1から9までを順に表示するだけだけど、それぞれの表示はバラバラの早さで切り替わる。一つ一つの変化はごく単調だが、全体を見ると不規則で複雑だ。こう書いてしまうとものすごく単調なもののようだが、この単調さが瞬間瞬間に形作る複雑さは見ていて飽きない。