「ドニー・ダーコ」 監督 リチャード・ケリー

前に見た時は、そんだけ?と思った。今回は結末をおぼろげながら覚えているのでそうはならないけど、それでも、やはりあのラストには中途半端な印象を持った。もっとあいまいなままの方が面白い気がする。あるいは、うさぎやエンジンの出所を具体的に明かしてしまうなら、もっととんでもないラストにしてほしかった。不気味な現実の映画として見てたのに、ラストで突然大がかりなSFになってしまう、そのギャップについて行けなかったのかもしれない。


不気味なものは好きだけど、怖いものは嫌いなので、ホラー映画はほとんど見ない。だけど、そんなホラー映画も実際に見てしまうと、だいたいは想像ほど怖くない。幽霊の姿が実際に現れてしまうと怖さ半分おかしさ半分の状態だ。漠然とした想像の方が恐怖を呼び起こす。
それと似た感触がこの映画にもある。
神秘的なものが、ラストで急速に物語に収束してしまう。たとえ多義的で解釈の余地が残っているとしても、何か具体的な意味があることが予感されてしまう。それまでの漠然とした想像が、急に具体的になってしまい、「なんだあ」と拍子抜けしてしまうのだ。


とは言え、とりあえず、謎を掛けられれば解きたくなるのが性だ。意味的な部分について考えよう。


意味はなさそうな気はするけど、どうにも気になってしかたないのは、28日6時間42分12秒という数字だ。ぱっと見、何か共通の数字の倍数に見えるが、1と2以外の公約数はない。6と42と12は6の倍数だが28が違う。28と42と12は4の倍数だが6が違う。28と42は7の倍数だが、6と12は違う。28.6.42.12。IPアドレス?うーん、やっぱ意味ないのかな。


これが作られたのは2001年だが、舞台は1988年だ。1988年10月6日から10月30日までの話だ。なぜあえて1988年を選んだのか?アメリカにとって1988年とはどんな年だったのか。ちょっと調べてみよう。
1988年 - Wikipedia
大きい出来事としては、映画にも出てくるが、アメリカ大統領選挙があり、デュカキスを破りブッシュ父が当選している。そのブッシュが湾岸戦争を行うのが1990年。
日本でペレストロイカが新語大賞を取っている。ちなみにソ連崩壊が1991年だそうだ。ああ、冷戦が終わる直前の時期って事か?
1985年ゴルバチョフ就任。ベルリンの壁崩壊が1989年11月。東西ドイツ統一が1990年。
ドニー・ダーコ」とは関係ないか?


この調子でやってったらきりがないな。とりあえず、キーワードとなりそうなものを羅列してみよう。この映画の場合、それだけでも結構な量だ。


世界の終わり。1988年に世界は終わったのか?
うさぎ。不思議の国のアリスの連想?
ハロウィン。死者や悪霊が来る日らしい。ハロウィンは10月31日に行われるという。ドニー・ダーコの物語の後だ。
グレアム・グリーン「破壊者」。ドニー曰く、「破壊は創造だ」
学校が洪水。雑種犬ブロンズ像に斧。
転校生グレッチェン。「(ドニー・ダーコという名前が)スーパー・ヒーローみたいね」
セラピスト。恐怖と愛。恐怖の産物。
タイム・トラベル。
腹から出た液体のようなもの。未来を指し示す?
死に神オババ。毎日手紙が来てないかチェックする。「タイム・トラベルの哲学」を書く。元尼。
科学教師との会話。未来の運命を見ることができたら、運命を変えることができるか。あ、これだ!運命は神に支配されているが、その神を裏切ることができるか。とりあえず羅列を続けよう。
地下室の扉(Cellar door)。 
映画「最後の誘惑」「死霊のはらわた
舞台はマサチューセッツらしい。デュカキスはマサチューセッツ州知事として実績を上げ、「マサチューセッツの奇跡」と呼ばれたらしい。デュカキスに投票をと言っているのはそのためか?
音楽はUKものが多い。なぜ?
金属製の乗り物と穴。夢遊病。眼を撃ち抜く。サバービア。スマーフ。死ぬ時は孤独。


漠然と見えてくるのは、神の否定?否定というか拒否か。時間や運命は神が支配している。けど、未来が分かれば運命を変えることができる。つまり、神の支配を拒否することができる。映画のラストでは、ドニーは運命を変えてしまう。ラストの笑顔は「神を拒否してやったぜ」という笑いか?運命を変えて、グレッチェンを助けたという満足感による笑い?ここではグレッチェンを助けたいという、意志が重要だ。運命によって時間を遡るわけではないと考えたい。だとすると、もし、あそこでドニーが戻らないという決断をした場合はどんな世界になっていたんだ?世界は終わったのか?
オババが元尼だ。尼を辞めたと言うことは神を拒否したと言うことだ。
「最後の誘惑」は見てないけど、神様の拒否なのかな?既成のキリスト像とは違うものは描いているらしいけど。
ドニーは、自己啓発セラピストに対し「偽キリストだ」とか何とか言う。


でも、アンチクライストってそもそもどういう意味だ?
偽のキリスト?反キリスト教悪魔崇拝?反キリスト教的道徳?無神論キリスト教徒以外はみんなアンチクライスト
アンチキリスト - Wikipedia
反キリスト - Wikipedia
ウィキペディアだと、「アンチキリスト」は「反キリスト」を見ろとなっている。
ヨハネの黙示録に反キリストというのがでてくるらしい。聖書に出てくると言うことは、「反キリスト教」という意味ではないのかもしれない。
ニーチェの本にも「アンチクライスト」というのがあるのか。なるほど、ニーチェは「ツァラトゥストラはかく語りき」で「神は死んだ」と言っている。これは来世に希望を持つことで、現世を捨ててしまう生き方を否定するものらしい。
ドニーは運命を変えてしまうので、ニーチェ永劫回帰とは違うが、運命というものを拒否して、自分の意志を通そうとするところがニーチェ的と言えなくもない。こういう事を言う前に、ニーチェについて少し勉強しないと怪しいな。
そういえば、グレッチェンはドニーに「スーパーヒーローみたい」と言っている。スーパーヒーローと超人。近いような近くないような。そういえばグレッチェンって名前もなんかドイツっぽいな。関係ないか?
何か、明らかにニーチェだというものはないかな。
教皇ヨハンナの子供がアンチクリストとなり、この世の終わりをもたらすらしい。最近本屋で「女教皇ヨハンナ」という本が平積みされてて気になってたけど、こんなところで名前を見るとは。読むかどうかは別として、とりあえず買ってしまいそうだ。


うーん、なんか映画を見てる時より面白くなってきたぞ。もう一回見たら面白く感じるかもしれない。


終わりの時 - Wikipedia
世界の終わりという概念自体、宗教的な意味でとらえることも可能みたいだ。でも、たぶん、この映画で言う「世界の終わり」というのは、「ドニーが助かった世界」の終わりという意味だろう。そして、「ドニーが助からなかった世界」が始まる。
逆回しで時間が遡る表現や、ラストでグレッチェンがドニーの母親に手を振るシーンなどを見ると、ドニーには自分が時間を遡る能力ではなく、世界の時間を巻き戻す能力があったということか?そのために、新しい「ドニーが助からなかった世界」に「ドニーが助かった世界」の記憶がまぎれてるということか?


もう一回見直す前に、キリスト教とかニーチェとかについてもう少し調べた方がいいかもしれない。とりあえず現時点では、これは運命に抗う話と理解しておこう。