「ドキュメント 戦争広告代理店-情報操作とボスニア紛争」 高木徹 著

ボスニア紛争で、ボスニア・ヘルツェゴビナが契約したアメリカのPR会社の働きを描いた本だ。世の中のからくりの一端を垣間見た気がした。今まで考えたこともない世界の事が書かれている。国家がPR会社と契約するなんて考えたことなかった。政治と宣伝の関係はたぶん古い。ナチスゲッベルスは有名だ。ただ、違うのは、現代の宣伝担当は、利益追求を目的とする企業であることだ。
この本の欠点は面白すぎることかもしれない。話を作ってることはないのだろうが、過剰な演出がされている感じがする。


戦争に勝つには世界を巻き込む。世界を巻き込むためにはアメリカを巻き込む。アメリカを動かすには大統領を動かす。大統領を動かすには議会を動かす。議会を動かすためには世論を動かす。世論を動かすにはマスコミを動かす。
ほとんど、"風が吹けば桶屋が儲かる"的な話だが、それが現実に行われていたらしい。蟻が作った穴からダムが崩壊するという例え話のように、緻密にマスコミを動かすことで、戦争の結果を左右する。考えてみればとんでもない話だ。


倫理に抵触する仕事はしないという。でも、偏った情報で世論を動かしてしまう事自体は倫理に抵触しないのか?それは、この本の文庫版あとがきにも書かれているように疑問に残るところだ。確かに嘘は言わないかもしれない。でも、明らかに世間を勘違いさせようとしている。俺の感覚からすると、完全に倫理に抵触する。
しかし、PRをなくすことはできないだろう。世間はイメージで動く。やはりあとがきに書かれているように、すでに否応なしに巻き込まれているのだ。


俺はもともと広告という存在が好きじゃない。だから、ブランド名が見えるところに書かれている服は着ないし、このブログでアフィリエイトもやらない。
でも、完全に拒絶しているかというとそうでもなくて、CMで成り立っているテレビは見るし、かっこいいCMやポスターは好きだし、映画の予告編はきちんと見るし、「世界CMフェスティバル」なんていうのも気になる。広告料で成り立っているらしいgoogleも大好きだ。アフィリエイトにも魅力は感じている。完全に広告を拒絶しようと思っても、今の世の中じゃたぶん無理だ。
今手元になくて、はっきり思い出せないけど、村上春樹の「風の歌を聴け」だったか「1973年のピンボール」だったかで、主人公が、マーガリンを食べないのにマーガリンの広告を作るのは間違ってると、相棒に言うシーンがあったと思う。広告に対する違和感というのは、そのころからすでにあったわけだ(いや、俺が具体的に知らないだけで、たぶんもっと昔からあったろう)。なんという漫画だったのかは思い出せないが、10年ぐらい前に読んだ漫画で、弁当箱の底のスペースを企業に貸し出して広告を載せるというギャグを見た時は笑った。
ただ、今、広告の勢いは前にも増して強まっているように感じる。なんでもかんでも広告料で成り立つ事になっていきそうな今の世の中について考えたいことがあるけど、それはまた後にしよう。


もともとこの本を読もうと思ったのは、
産経ニュース
この記事を読んだからだ。
この記事によると、この本を読んで政党PRの仕事をしたいという人が増えているらしい。全く思考がおれと逆だ。こういう仕事があるのは仕方ないとしても、できるだけ関わりたくない世界だ。もちろん受け側としては、関わらざる得ない。だけど、積極的に関わりたくはない世界だ。


こないだの選挙はイメージで民主党は負けた。いや、実際にはイメージが影響したのは、たぶん今回だけじゃない。前に善戦した時は、イメージによって善戦したのだろう。今回はイメージの影響が露骨に出ただけだ。でもその結果は、PRの力と、世間の流され易さを思い知らせた。たぶんこれからはPR会社がガンガン力を付けていくことだろう。
「選挙は魂」。なんて空しい響き。
街頭演説だって、昔ながらのPRの一つにすぎない。世論はイメージで作られる。本当に問題が見えてる人なんて、ごく僅かなのだ。


結局、選挙に関しての俺の考えはいつも同じ所に行き着く。
成人全員に選挙権があることが間違いなのだ。
でも、じゃあ、どうすればいいのかというのは思い付かない。生まれ持った性別とか血筋とか、そういう制限は撤廃してきた。今度は、その人の知性で制限していく方向に向かうのがいいんじゃないかとは思う。ただ、そうすると今度は頭のいい人達に都合のいい政治になるんじゃないかと考えると、それも問題か。また何か別のシステムが必要だな。


誰だったか忘れたけど、「郵政反対が民意だ」と言って反対に回った人がいた。泡みたいな民意に従うのを良しとするなら、そいつの代わりにそこらの一般人を国会に連れて行っても同じじゃないか。そいつに政治家のプライドはないのか?


話がだいぶずれてきたな。いや、ずれてないか?企業によるPRや広告というのは、とっくに政治の舞台に入り込んでいたのだ。企業によるPRや広告が目標とするところは、世の中を良くする事じゃなくて、利益追求だ。"情報リテラシー"なんて言葉をよく聞くが、そんな風に各個人に情報解釈を期待しているだけでいいのか?というか、この本に出てくる手法はもっと巧妙だ。情報をマスコミに頼っている限りは、踊らされるしかない。


100年後の世界が楽しみだ。でも、俺はそれを見れないか。どうなってるんだろう。人類がまだ存続していたとして、このままPR企業に支配された世界に突っ走っていくんだろうか。あるいは、何か新しいシステムが生まれてるんだろうか。