「旅するジーンズと16歳の夏」 監督 ケン・クワピス

この映画を見てみようと思ったのは、ひとえにアレクシス・ブレーデルを見るためだ。「シン・シティ」でちょっと気になっていたところ、そのすぐ後に、雑誌PLAYBOYの「セクシーな女優100人」にも名前を見つけた。


で、カラーで見てみてどうだったかというと、少なくともこの映画では特別な魅力は感じなかったな。役柄のせいか?ただ、あの水色の瞳だけは特別だ。「シン・シティ」ではアレクシス・ブレーデルの瞳だけ青い色を付けられていた。あれはもしかして地の瞳の色だったんだろうか。


映画自体は、まあ、なかなか良かった。主人公が16歳の女の子4人ということもあってか、始めのうちは全く映画に入り込めなかったが、ませた口をきく少女が出てきたあたりからちょっと面白くなってきた。
物語は、4人が別々の場所で過ごす夏休みを追っかける。四者四様の夏の発見がある。一人は自分の殻を知り、一人は性を知り、一人は人としての親を知り、一人は生を知る。現実離れした1つの大きなドラマではなく、小さなドラマ4つが響きあう。この映画の面白さというのは、たぶんそこだろう。小さなクライマックスの集合で描かれる、表面上は僅かだけど後戻りできない変化は、ノスタルジックな面も伴って内面で大きく膨らんでいく。
でも、自分のことを思い出すと、なんにもなかった気がするなあ、16歳。16歳なんて、もう遠い昔になってしまった。


すこし話がずれるが、一度アメリカの普通の家庭に泊まらせてもらったことがある。印象深かったのは、家族の昔の写真が家のいろんな所にたくさん飾られていることだった。日本では、まずありえないんじゃないだろうか。むしろ、昔の写真は恥ずかしくて見たくないと思う人が多いような気がする。
それまで、昔の写真を見ることは、ノスタルジーに浸るだけの後ろ向きな行為だと考えていた。けど、その飾られた写真を見て、そうではないと気付いた。
あまりに過去に浸るのはやや後ろ向きな感じがするが、過去を忘れ去ろうとするのは、もっと後ろ向きで、自分を否定することだ。今の自分だけが自分ではない。過去の自分、過去の自分の周囲、そういったものの総体として今の自分がある。昔の写真を見て過去を振り返り、自分がどういう事をしてきて、どういう人間だったのかを思い出すことは、自分という人間を知る上では必要な事だ。


話を戻すと、とりあえず、自分の16歳を振り返るきっかけとなったという意味でも、なかなか興味深い映画だった。


英語に"sweet sixteen,sexy seventeen"という言い回しがあると聞いたことがある。本当かどうかは知らない。けど、この映画には、その言葉がきれいに当てはまる。