「ドミノ」 監督 トニー・スコット 

トニー・スコットが化けた。
見終わった最初の感想だ。今までのトニー・スコットの映画に関して、特別な印象は残っていない。「ザ・ファン」や「スパイ・ゲーム」なんて、今回フィルモグラフィーを見るまで、見た事自体忘れていた。妙に評論家の人たちに受けがいいが、なぜそんなに評価されているのか分からなかった。ところが、この映画では一転して、処理しきれないほどのテーマが刺激的に映し出される。


確かに、映像の感じは今までの延長線上にある。ただ、なんだろう。一つ突き抜けた感じがする。きれいな映像を見せる、見事にストーリーを語る、そういう指向を捨て去った時に、向こうにあったものが、美意識の型を突き破って吹き上げてきた感じだ。


この映画は1度見ただけでは、俺には処理しきれなかった。コメディ映画として作っているように見える演出。見事に適度に複雑な人物関係、面白いキャラクターとストーリー。フィルムとビデオと歪めたコントラストによる虚像と実像。実在するテレビ番組や人物と、この「ドミノ」という作りものによる虚像と実像。「ドミノ」という映画の中のリアリティTVの裏側という虚像と実像。ラスベガス、ビバリーヒルズといった金による虚像と実像。この映画における愛や家庭や宗教が何かという事を示していそうな、たくさんの意味ありげなシーン。アレハンドロ・ホドロフスキーを連想してしまった荒野のトム・ウェイツ


映画の感想は大きく分けて4つの階層に分けられると思っている。1つはドラマに感情移入した感想。2つめは映画自体が持つテーマ、メッセージに関しての感想。3つ目は映画の映像や物語構成などの作成技術に関する感想。4つ目は理解が難しい映画だった場合の自分の解釈。もちろん、明確に分けられるわけではなく、これらの間を行ったり来たりする。それでも、だいたい自然と、この中のどこかに重点をおいた感想になる。
それが、この映画に関しては俺の視点は定まらない。すべての階層に興味深い物がありそうな気がするのだ。


トニー・スコットに限らず、よく"MTV的"という表現が使われる。決していい意味ではないが、俺自身はそういう"MTV的"な映画も嫌いではない。と言って、一部を除いて積極的に褒める気もしない。この映画はかなりぎりぎりの所にいる。一歩間違えて、もう少し小綺麗にまとめられてしまっていたら「まあ、いいんじゃない」ぐらいの映画で終わっていたかもしれない。


今までだいたい映画は監督の作品として考えてきた。たぶん、脚本家の手柄もカメラマンの手柄も、監督のものとして捕らえてきた。けど、この映画に関しては、この密度はトニー・スコットの手柄なんだろうかと考えてしまう。それくらい、今までのトニー・スコットの映画と手触りが違う。調べてみると、脚本家はリチャード・ケリーという人で、「ドニー・ダーコ」の監督と脚本を務めた人だ。リチャード・ケリー監督作品だといった方がまだ理解できる。この人の影響が色濃く出たんだろうか。
今までトニー・スコットを褒めていた人たちからすると、「ドミノ」はトニー・スコットらしい映画だったんだろうか?


映画を見る時は、ストーリーを事前に知ってしまう事にはあまり抵抗がないが、他の人の感想はできるだけ見ないようにしている。だから、現時点で「ドミノ」に関する他の人の感想や批評はほとんど読んでいない。これから、他の人の視点をいろいろ読んだ上で、もう一度「ドミノ」を見てみたい。そして、どんな映画だったのか確認したい。ただ、多くの映画館で今週末で終了するようだ。果たして見られるかどうか。


ところで、"MTV的"という表現がいつ頃から使われているのか分からないが、かなり昔から使われているような気がする。ミュージックビデオは少なくても20年前と現在とでは全然違う物になっている。そういう意味では"MTV的"な映像の意味合いも変わってきているのかもしれない。


そういえば、これもまた事実を元にした映画だったなあ。