「ワンダと巨像」(ゲーム)

ICO」を作ったメンバによるゲームと言う事で、かなり期待を持ってゲームを始めた。だけど、迷路好きにとっては少し物足りない内容だった。面白くない事はない。巨像を倒すまでのパズルは、まあ、面白い。巨像を倒すのがメインだというのは事前に知っていたけど、それでも、もう少し迷路に重点を置いてほしかったなあ。ただ、俺は「トゥーム・レイダー」も敵が出てこなければもっと面白いのに、と考える人間だ。アクションが好きならこのゲームは面白かったのかもしれない。


ゲーム自体には気持ちよさがある。敵にダメージを与える攻撃というのは、結局4,5回急所に剣を突き刺すだけだが、急所にたどり着くまでがパズルになっており、やっとの思いで急所に突き立てる渾身の一撃には達成感がある。また、強く突くために力を溜めるシステムによる間が、「渾身」感を増幅する。
それと巨像の"巨"像感。あの倒れる感じはなかなか爽快。ハリウッド版「ゴジラ」のキャッチコピー"Size Does Matter"というのが大好きなんだけど、まさにこのコピーをあげたい映像。


ただ、しかし。最初に書いたように地図なのだ、問題は(他の人には違うかもしれない)。このゲームには歩き回る楽しみがあまりない。「世界」と呼ぶにふさわしい自然描写、大地の広大感、馬による疾走感など、技術的、美術的にはよくできていると思う(いや、カメラワークの遅さがちょっとひっかかるか)。ただ、謎だけがない。
巨像を倒す。次の巨像を教えられる。なんの苦労もなくその巨像が見つかる。このプロセスをもっと難しくしてほしかった。これだったら、あんなに広い世界を作る必要もなかったんじゃないか?巨像を倒したら次の部屋に行って、また巨像が出てくるってだけでもかまわなかったんじゃないか?いったい何のためにあんなに広い世界を作ったのか、意図がよく分からない。
逆に、巨像を倒す方法は俺には難しく、かなり攻略サイトにお世話になった。


先々週ぐらいに「タモリ倶楽部」で地図を取り上げていた。そこで「マッパー」という言葉を使っていたのだが、それを聞いて思い出した。
俺は中学生くらいの頃「マッパー」と呼ばれた事があった。
RPGをやる奴には経験値をためるのが好きな奴と地図を作るのが好きな奴がいる。お前はマッパーだ」
その説が正しいのかどうかは知らないが、俺に関してはまさにその通りだった。雑魚とルーチンワークのようにひたすら戦って経験値をためてレベルを上げる、という作業がかったるかった。それよりグラフ用紙に書いた地図を完成させる事に喜びを覚えた。高校ぐらいからはゲームから遠ざかるが、またゲームをやるようになったのは、「トゥーム・レイダー」がきっかけだった。あれはマップ命のゲームだ。しかも、「ウィザードリィ」1作目でほとんど止まっている俺のゲーム感からしたら、3D画像があんなに滑らかに動くことは驚異的だった。さらに経験値のかったるさがない。完全に俺のためのゲームだと思った。


俺はタモリのような地図好きにはならなかった。それでも、目の前の机の上には、辞書と一緒にあんまり見ないけど一応世界地図帳が並んでいる(ついでにいうと辞書好きだ)。


もう一つついでに書くと、このゲームに限らず最近のほとんどのゲームで、途中に入っているムーヴィーってなんなんだろう。たしかにきれいなんだけど、ゲームをしてる途中で、ただ見るだけの時間っていうのはかったるいんだよな。そのせいで大体ムーヴィーはキャンセルしてしまう。ゲームを解くためにほとんど関係ないし。ゲームにストーリー性を入れたいなら、ムーヴィーで説明するんじゃなくて、ゲーム自体に組み込んでほしいよな。