「宮本武蔵 1〜8」 吉川英治 著

8巻もあるし、最初は全部読むかどうか不安だったけど、予想に反して、見慣れない言葉は多くても読みやすく、歴史は得意じゃないけどそれでも苦にならなず、すらすらと読めてしまう。1冊目を読み終わった時点で感想を書きそびれて、8冊まとめて書けばいいかと思ったけど、やっぱりまとめて書くのはつらいな。1冊ずつ書けば良かった。前半はもうすでに、かなり曖昧な印象になってしまってる。


まず、一番印象に残ったのは、やたら偶然の出会いが多い。
登場人物達は、日本のかなり広い範囲を時間をかけて移動する。それでも、今の日本だったら考えられないが、ここぞというところで偶然出会い、涙の再開をしたり、命拾いしたりする。昔の日本だと、人が少なくてほんとにこんな感じだったのか?それとも作り話だから?たぶん作り話だからだろうな。どこまでおとぎ話で、どこまでが本当の日本だったのか分からない。これがそのまま、昔の人の世界と思うのは間違いだろう。
また、登場人物のキャラクターも話の展開もはっきりしていて分かり易い。
でも、これらは「昔の本」だと思っていると、全く気にならない。「昔の本」の特権だ。素直に読む事ができる。もし現代を舞台にして、同じ話を書いたら馬鹿にされるんじゃないだろうか。ラストでは、今までの登場人物が大勢出てきて、子供の時に見てたアニメを見ているようで懐かしさを感じた。その印象が強いせいかもしれないけど、どこか少年向け小説のようにも感じる。


でも、それでいて、通奏低音となる武蔵の思想はチャンバラより内面に向かい、戯画化された登場人物達の業は、人間の機微に触れる。


書かれたのは昭和11〜14年、西暦で言うと1935〜38年。70年前だ。「山猫」を見たの時のようには、時代の壁をそれほど感じなかった。でも、もちろん実際には70年前の人が感じるようには感じられないんだろう。
なにしろ、
1931年 満州事変
1937年 日中戦争
1939年 第二次世界大戦
1941年 太平洋戦争
こんな時代に書かれた本だ。


武蔵の思想はかなりメッセージ性が強い。武蔵は剣の道というものについて考え続ける。
「剣は平和のためにある」
「剣をいかに政治に役立てるか」
知性を持った人たちは武蔵に味方する。一方、剣の技術に優れているだけの佐々木小次郎を味方するのは、雑魚のように描かれた人たちばかりだ。
宮本武蔵」は、最後の章「魚歌水心」で次のように終わる。

波騒は世の常である。
波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は踊る。けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を、水のふかさを。

かなり初めの方で、どの殿様にも取り入らず、山にこもっていたが為に現在でも生き残っている大名(?)かなんかの話が出てくる(8巻あるとそこを探して確認する気が起きない)。
時代背景を考えると、これは具体的な反戦のメッセージが込められている?


バガボンド」は戦いがメインだったが、こちらは戦いのシーンはそんなに多くない。武蔵ももっと知的なイメージだ。
武蔵が常々考えている、剣の道がなぜ政に繋がるのかは、まだよく分からない。一芸に秀でれば全てに通じるというのは分からないでもないんけど。
この本には達人がたくさん出てくる。武蔵自身も絵や彫刻に関心を寄せ、見る人が見れば唸るようなものを作る。
それと無の境地、自然との一体感というのも剣の道の到達点として描かれる。けど、その辺がなんだか分からないままだなあ。
んんん、なんか印象がぼやけちゃってだめだな。本当はここんところをもっと考えたいけどな。あー、8巻も読んでこんだけかよ。自戒。
かなり終わりに近いところで、武蔵の周りにお坊さんが円を描くシーンがある。武蔵はその意味についてしばらく考え、ついにそれまでの迷いが取っ払われ、何かを掴む。何を掴んだんだろう???
8巻だけにしぼってもう一回考えようかな。


基本的に、この本は1つの大きなストーリーがあるわけではなく、いくつかのエピソードを重ね合わせていくような感じだ。途中の話は、入れ替わっても抜けてても、話がおかしくなる事はないと思う。もうちょっと刈り込んで密度を高めてくれればもっと面白く読めたろうなあ。大先生にでかい口叩くようだけど。逆に、取って付けたように小次郎との対決で変にまとめずに、延々と放浪したままでも面白いかも。1つ1つの話はすごく面白い。


「魚歌水心」とは吉川英治の造語だろうか?検索して簡単に調べた感じでは「宮本武蔵」関連ばかりだった。ちょっと心惹かれる言葉ではある。ちょうど、このブログの飾り付けとも通じるものがあるし。