中田ゴール! から頭の中はちょっと違う方へ……

いやー、久しぶりに見た。中田のゴール。ネタが中田続きになってしまうけど、先週は映画も見てないし、ちょっと考えた事もあったので書いておこう。

中田がゴールを決めた時、うれしさのあまり思わず声が出た。0-0のいいところで決めたし、なにしろ1年以上点を取ってない。昨年はレッチェ戦で活躍が印象に残ってるけど、点は取れなかった。あの時はこれが今シーズンのベストゲームって事にならなければいいけどと、少し不安を感じたんだけど、悪い事にその通りになってしまった。
今年は、根拠はないんだけど、なんとなく不安は感じない。何週か前にいい試合したからかな?この予想が当たりますように。


で、それはいいとして、しばらくしてからふと思った。映画や本で思わず声がでることなんかない。こんなに興奮する事はない。この違いはなんだろう。サッカーの方が面白いって事か?


直感的にはそれは違う。中田が所属するボルトンの試合以外ではそんなに興奮しないし。つまり、この興奮はサッカー自体の面白さによるものじゃない。
野茂やイチローの試合をたまたま深夜にテレビで見た事もあったけど、メジャーリーグを見続ける事はなかった。でも、たまたま見た中田の試合から、サッカーは見続けている。そういう意味ではサッカー自体に面白さを感じている。
けど、声が出てしまうようなうれしさというのは、ゲームの内容とか中田のプレイの質とか、そういうのとは関係なく、"中田がゴールした"というそれだけに対してのものだと思う。


面白さで言うと、俺にとっては、サッカーの面白さより映画の面白さの方が上だ。だけど"中田の試合"となると、それが怪しくなってくる。もしかしたら、"中田の試合"が上回ってしまうかもしれない。


いや、そうでもないかな。中田が出ていてもつまらない試合はたくさんあった。というか、つまらない試合の方が多かった。そう考えると、俺が見たいものはサッカーではなく、サッカーで活躍する中田なんだ。
俺が期待するのは、サッカーの面白さじゃなくて、中田の活躍を見る嬉しさのような気がする。
なんで、こんなに中田にはまってしまったかということも考えてみたいけど、今日書こうと思ってた事と方向が違うのでそれはまた後にしよう。


俺は、楽しさより嬉しさを求めて"中田の試合"を見る。


楽しさと嬉しさはどう違うか。
今まで、その違いを考える事はなかった。違うという事を意識する事もなかった。でも、もしかして、その2つは全然違うものなんじゃないかという気がちょっとしたのだ。しかも、"楽しい"より"嬉しい"の方が、何か根源的な感じがしたのだ。


まずは違いを考えてみよう。


とりあえず辞書。
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によると

たのし・い【楽しい】
1 満ち足りていて、愉快な気持ちである。「毎日を―・く過ごす」「テンポのよい―・い曲」「―・いピクニック」
2 富裕である。金持ちである。
「堀川相国は、美男の―・しき人にて」〈徒然・九九〉
3 作物の出来が豊かである。
「この年頃は、いとこそ―・しけれ」〈大鏡道長上〉

うれし・い【嬉しい】
1 物事が自分の望みどおりになって満足であり、喜ばしい。自分にとってよいことが起き、愉快で、楽しい。「努力が報われてとても―・い」「―・いことに明日は晴れるらしい」悲しい。
2 相手から受けた行為に感謝しているさま。ありがたい。かたじけない。「あなたの心遣いが―・い」
3 (俗な言い方で)かわいい。にくめない。「何と―・い男じゃないか」

なるほど、なるほど。でも、違いの実感は湧いてこない。


もう少し具体的に文で考えてみよう。


「映画を見て楽しかった」
この文章からは、映画自体が面白かったのだろうと想像できる。もしかしたら、誰かと見たから楽しかったという事かもしれない。
「映画を見て嬉しかった」
この文章だと、だいぶ雰囲気が違う。映画自体ではなく、映画を見る行為に何か意味があるように読める。普段映画をあまり見る事ができないけど、今日は映画を見る事ができて嬉しかった、という感じだ。映画の内容は問題ではない。
もしくは、知人がその映画か上映かにに携わっていて、苦労したけど無事それを見る事ができて嬉しかったという風にも見える。


俺自身について言えば、映画を見て楽しい事はあっても、嬉しい事はない。


次。
「試合は負けたけど楽しかった」
試合が面白かったのだろう。
「試合は負けたけど嬉しかった」
これもなんかドラマを感じる。負けて良かったという意味にもとれる。あるいは、負けたけど、何か事情があって試合ができた事自体が嬉しいという風にもとれる。


次。
「幻の映画を見られて楽しかった」
「幻の映画を見られて嬉しかった」
楽しいというのはただの心の状態でその瞬間だけを表現しているけど、嬉しいというのは何か達成感のようなニュアンスが含まれているな。


楽しい仕事、楽しい生活、楽しい人生。何かと楽しさが推奨される。それはそれで間違いではないと思うけど、快楽で言えば、"楽しさ"より"嬉しさ"の方が上じゃないかという気がする。
中田は入団会見で「楽しむ」事を強調していた。けど、中田が生き生きとプレーする様子を想像して頭に思い浮かべると、そこにあるのは「喜び」じゃないだろうか。楽しいというのはその結果だ。
「自分は何を楽しいと思うか」を意識する事もいい事だと思う。けど、"楽しい"という言葉に縛られていると見落としてしまうものがあるかもしれない。楽しさは比較的簡単に手に入る。人によっては映画かもしれないし、カラオケかもしれないし、おしゃべりかもしれないし、クラブで踊る事かもしないし、キャバクラかもしれないし、ギャンブルかもしれない。
けど、「どうやったら嬉しさを感じられるか」と考えた時、それらは答えになっているか。なっている場合もあるだろうし、なっていない場合もあるだろう。なってなくても、楽しいのなら否定はしないけど、継続的にその人のエネルギーとなるのは、楽しさより嬉しさなんじゃないかという気がしてきた。


まだ、なんか俺が最初に感じたところに届かないな。"嬉しさ"には、もっと根源的な何かがあるような気がするんだよな。とりあえず今日はここまで。