「ハッカビーズ」 監督 デヴィッド・O・ラッセル

評論家に受けがいいけど、いまいち笑いがよく分からない監督が、ウェス・アンダーソンと、この監督デヴィッド・O・ラッセルだ。
この映画では、極端に走ってるキャラクターは笑えるんだけど、俺が何かをつかみ損ねてる気がする。ただ笑わせるだけにしたら観念的すぎる。たぶん、アメリカ人がどう見るのかを考えないと、理解できないんじゃないだろうか。


「みんな宇宙とは何か、生命とは何か、究極の答えを求めている」と言った時には、「42」と言い出すのかと思ったが、それはなかった。「銀河ヒッチハイク・ガイド」の質問と酷似しているのは偶然か。


現実認識の話が展開されるのかと思ったが、どうもその辺には話はあまりつっこんでいかない。哲学的な単語が出てくる部分はどう捕らえればいいのか。まじめに何かを伝えようとしているのか。
例えば、漫才で魚屋が出てきたからといって、魚屋についての意見を述べようとしているわけではないように、この映画の哲学的な言葉はただの背景に過ぎないのか?そこに制作者のメッセージはないのか?


あの部分はハイデガーのパロディで、この部分はサルトルのパロディで、というような、哲学に関してのパロディでは少なくてもない(もちろん、俺が気づかなかっただけという可能性はある)。
でも、ただの背景にしては、映画の中で「哲学」が意味を持ちすぎてる気がする。「実存主義探偵」という職業によって、何かを表現しようとしているのは確かなようだ。


マーク・ウォールバーグ演じる消防士は、同時多発テロの影響を受けているのは確かだ。少し大げさな話になるが、もしかしたら、この映画自体、テロ後のアメリカの雰囲気を知らないと理解できないんじゃないだろうか。アメリカ人が抱える不安をこの映画は刺激しようとしているんじゃないだろうか。この映画を理解して笑うには、アメリカ人がどんな風に刺激されるのかを想像する必要があるんじゃないだろうか。


まず、俺のアメリカ人のイメージ。
たまに聞くだけのニュースからの想像でしかないが、アメリカ人はとても不安な時期を過ごしているように見える。
同時多発テロがあった。アメリカ人は、アメリカが憎まれている事と、紛争が対岸の火事ではなく実際に自分が巻き込まれるかもしれない事を知った。この時に生まれた、生命や生活に対する不安は大きかったろう。それでも、この時点では正義は自分たちにあると信じる事ができた。
しばらくして、今度はイラクを攻撃した。しかし、結果として攻撃の大義名分であった大量破壊兵器は見つからず、ヨーロッパの一部の国とも関係が悪化した。一応戦争は終結したものの、本当に集結したのかどうかも分からないような状況だ。
ここに至って、かなりのアメリカ人が本当に自分たちは正義なんだろうか?という疑問を持ったはずだ。自分たちが信じているフリーダムは本当に正しいのか?
これが、俺が想像するアメリカ人だ。テロによって生活が脅かされるかもしれず、自分たちが正義かどうかも自信が持てない。肉体的不安にも精神的不安にもさいなまれている。


Ratings and Reviews for New Movies and TV Shows - IMDb
によると、「華氏911」のアメリカ公開が2004年6月、「チーム★アメリカ」が2004年10月、この「ハッカビーズ」が2004年10月だ。ちなみにイラク戦争終結宣言が出されたのが2003年5月、ブッシュ大統領再選が2004年11月だ。


たったこれだけの知識で、アメリカ人の心理をどうこう言うのはすこし短絡的かもしれないけど、それでも少しは映画の理解に近づけるんじゃないか?


この映画はアメリカ人をどんな風に刺激するのか。


会議のシーンがある。その会議はみんながみんな自分の言いたい事を言い出して収拾が付かなくなる。で、「じゃあ、投票しよう」となって、混沌としたまま、主人公はあっさりくびになってしまう。このシーンは民主主義に対する皮肉だ。制作者達がどのくらいその事を意識していたかは分からない。だけど、意識の奥底でうすうすと感じているアメリカの民主主義に対する不安を、無意識のうちに刺激しようとしたんじゃないだろうか。


この映画に出てくるデパートは、消費社会の象徴と言えるだろう。欲望加速装置としてのデパートとその広告。その世界でのビジネスマンの理想像がジュード・ロウ演じるエリート社員だ。また、その世界での別の理想像がナオミ・ワッツ演じるモデルだ。
ジュード・ロウは家が燃えた時、涙を流し、「泣いた事は誰にも言うな」とあわてふためいて言う。エリート社員としてやっていくために、自分の感情は邪魔なものなのだ。主人公はその泣いている姿を見て、自分とだぶらせる。
ナオミ・ワッツ実存主義探偵と出会って、美しさは本当の自分の欲望ではないと気づく。彼女の場合は元々今の職業にフィットしていない自分を感じていた。


こういった、今までの理想(消費社会)は偽物ではないか?という命題設定自体は、目新しいものではない。ジュード・ロウの家が燃やされた時に、俺が連想したのは「ファイト・クラブ」だった。
俺が物足りなさを感じたのは、この命題とそれまで出てきていた哲学とが結びつかない点だ。この命題だけだったら実存主義なんて言葉を出す必要がないように思える。


もしかしたら、ここで2004年のアメリカ人の感じ方を想像する必要があるんじゃないかという気がする。でも、かなりこじつけかもしれない。
アメリカ人は、実際の社会の中で、戦争を通じて「自由や正義などの今までの理想は正しいのか?」という疑問を感じている。その人たちに対して、「今までの理想は偽物ではないか?」と言った時、この映画では消費社会や実用主義だけを指しているように見えても、見た側ではそれ以上のものを見てしまうんじゃないだろうか。作っている側もそういうふうに誘導するために哲学を登場させたんじゃないだろうか。
迷っている現実があるからこそ、こういうテーマが他人事ではなく自分の事として笑えると考えたんじゃないだろうか。


うーん、やっぱり少しこじつけかなあ。


探偵夫婦と対立する探偵(?)がフランス人だというのも、もしかしたらアメリカ人のイメージから来たものかもしれない。哲学と言えばヨーロッパ。あるいは、イラク戦争アメリカと対立したフランスというのも何か影響してるのか。


ところで、実存主義探偵と言っていたが、ダスティン・ホフマンが言う事は実存主義だったか?なんか違うような気がするんだけど……
実存主義 - Wikipedia


ここからは、英語のニュアンスが分からないので、あんまり実りのない調査になるけど……
I Heart Huckabees (2004) - Trivia - IMDb

Movie Reviews – Rolling Stone
によると、原題の"I * huckabees"(*はハートマーク)は"I heart huckabees"と読むらしい。アメリカ人も"I love huckabees"と勘違いするらしい。で、heartって動詞で使うとどういう意味になるのか知らなかったので調べてみると、名詞の説明が延々と続いた後、「元気づける」と簡単に書いてある。ということは「私はハッカビーズを元気付ける」という題名なのかな?あるいは発音が似ている"hurt"とかけてる?そうすると全然違う意味になっちゃうけど。
"huckabees"を"huck a bee(s)"と分解するとなんか意味があるのかと思ったけど、"huck"って単語はありそうでないんだな。ナオミ・ワッツが言っていたように"fuckabees"にかけてる?
beeは「ミツバチ」という意味もあるけど、「働き者」という意味もある。うーん、なんか映画と関係ありそうななさそうな……
それから、"have a bee in one's bonnet"で「そのことばかり考えている」という意味だそうだ。ナオミ・ワッツが後半でかぶってた帽子は「ボンネット」って言ってたよなあ。うーん、なんか映画と関係ありそうななさそうな……