「シン・シティ」 監督 フランク・ミラー/ロバート・ロドリゲス

ここ数年グロテスクな物に弱くなった。見ていて気分が悪くなる。
そういう俺にとってのマイナス部分を脇に置いておいたとしても、全体的な印象として少し単調な印象を受けた。
大作映画では、CG技術を使った実写のようなアニメーションによって、アニメーションのような実写映画が普通になっている。、オープニングを見た時点では、アニメーションのような実写映画をさらに推し進めようとしているのかと想像して期待した。オープニングシーンは面白さを感じさせた。だけど、それは少し間違っていたようだ。この映画は静止画である漫画のような実写映画を目指したように見える。



部分的に面白いシーンはある。
オープニングシーン。白黒画面の格好良さ、コントラストのデフォルメ、部分的な極彩色。あくの強い登場人物。女のセクシーさ。額に刺さった銃。
だけど、これだけそろっていて、トータルとして、なんか単調なんだ。
……なんだろう?


ロバート・ロドリゲスクエンティン・タランティーノの組み合わせと言えば「フロム・ダスク・ティル・ドーン」という映画があった。あれも結構単調だった気がする。ただ、あれは勢いでそれを押し切った。まあ、この映画と比較するのもどうかという気がしないでもない。


この映画にはその勢いがなかった?
うん、そうかもしれない。でも、最初から勢いで勝負しているわけではなさそうだ。
じゃあ、勝負所は?
”スタイリッシュ”な映像と嗜虐。
……あああ、そこか?”スタイリッシュ”な映像が静止画的だから?
もしかしたら、緩急がなかったのかもしれない。画面に動きがなくても、緊張感のあるシーンはある事はある。
例えば、3話目の黄色い議員の息子が車で主人公を伺っているシーン。あそこは面白味があった。3話目は他と比べると、面白味のあるシーンが多かったような気がする。でも、全体としてはそういうシーンは少なく、緊張感の足りない印象的なだけの静止画が多かったのかもしれない。


あと、もしかしたら、ストーリーにも問題があったのかもしれない。でも、これはたぶん、映像に魅了されていれば気にならなかっただろう。
特に1話目と2話目。主人公が戦う理由が希薄じゃないか?女のために戦うんだけど、女との繋がりはあっさり描かれるだけだ。
3話目だけは戦うまでのいきさつがきちんと描かれている。戦うのは、何年も自分のために手紙を書いてくれた女のためでもあるし、自分をひどい目に遭わせた奴が敵だからでもあるし、社会的に悪い奴だという義憤もあるかもしれない。
それに比べて、1話目は、男と女の関係はほとんど描かれない。なぜ男が女を女神と思うまでになっているのか。一応口では簡単に説明されている。
「こんな俺に寄ってきてくれた。」
そんだけ!?
2話目は、ほとんど成り行きで事件に巻き込まれる。そこに命を賭けようとするのはなぜだ?元彼女の娼婦自警団リーダーのため?オールド・タウンの自治を守るため?でも、リーダーとの過去もオールド・タウンとの過去も、確か一切描かれていなかったと思う。


ああ、そうか。これかもな。主人公達の行動原理が俺には分からなかったんだ。


物語的にはまだいろいろありそうだ。
ハードボイルド小説にもいろいろあるが、俺が好きなのは精神的に強いキャラクターだ。それを際だたせるためには、肉体はむしろ弱いくらいでいい。俺が見たいのは、勝つ自信があって大口たたく奴じゃなくて、勝つ自信がないのに大口をたたく奴だ。俺が見たいのは、自分が正しいと信じている事を責められた態度ではなく、自分でも間違ったと感じている事を責められた時の態度だ。逆説じみてるが、そういう弱さにこそ、その人物の精神的な強弱が表れるような気がする。
そういう俺の趣味からすると、ハードボイルド的な面白さもあまりなかった。


人物関係も、どうせやるならもう少し複雑にした方が良かったんじゃないのか。
大きく3つの話があるけど、話にまたがって関係しているのは、ナンシーがマーブとハーティガンの知り合いだったという点と、娼婦自警団のメンバがマーブとドワイトの2人と知り合いだったことと、ロアーク家だけだ。
文字で書くと面倒だけど、公式ページにある人物相関図を見るとはっきりする。
社会保険労務士を独学で合格するのに必要なポイントは?
(ところでフラッシュって中身に直接リンクできないし、ブラウザの「戻る」が使えないからやだね)
この図はたぶん意図的に分かりづらく書かれているけど、3つの話の登場人物をそれぞれくくれば、ほとんど3つの別の図になる事が分かる。
2つの話に絡む人物も、絡んでいる事自体はぜんぜんストーリーに影響しない。あえて言えば、ロアーク家が仕切っている様が少しは浮かび上がってくるぐらいか。そういう浮かび上がってくる物がもっとあった方が面白くなったんじゃないか。
単に、知り合いでした、というだけでは、俺はあまり面白さを感じない。



比較対象としてはすこし飛んでしまうかもしれないが、たまたま今思い出したのは「キャッチ=22」という小説だ(映画もあるが未見だ)。あれは混乱自体が一つのテーマとなっているので、話を混乱させる事に必然性がある。もっといい例があるとは思うけど、話が入り乱れる事に目的があれば面白くなる場合が多い気がする。


いや、別にそんな必然性とかテーマとか、最初からそんなのを描こうとしてるんじゃない事は分かってる。でも、映像に魅了されなかった俺としては、せっかくたくさんの人物を登場させて、複数のストーリーを描くんであれば、baSIN CITYをもっと多面的に浮かび上がらせる事が可能だったんじゃないかという気がしてしまうのだ。


本編は、似たような世界の話が3つ並んでいる。
でも、冒頭、タイトルクレジットまでで終わってしまうビルの屋上のシーンでは、本編とはちょっと違った階級の着飾った男女が登場する。おそらく、上流社会の人たちのパーティがあったのだろう。多面的という意味では、あの人たちが登場する話が一つ本編にあった方が、街の複雑性を描く事ができたんじゃないだろうか。


途中、議員ロアークがハーティガンに対して言う。
「銃は力ではない。嘘が力なのだ」みたいな事を。
なら、その嘘の力で支配されている世界を浮かび上がらせて見せてくれよ。この台詞に反して、この映画の中では銃が力だ。いや、ラストを見るとやっぱり嘘が力だったのか?なら、嘘が力の世界をもっときっちり見せてくれよ。



いやー、でも結局、映像だな。あの映像に映画としての価値を見いだしていれば、たぶん、それで満足していただろう。けど、映像に価値を見いだせなかった俺は、他の面の面白さを探してしまったけど、そこにも面白さはあまりなかった。
そういう事かな。



この映画にはクエンティン・タランティーノがクレジットされている。となると、どうしてもタランティーノの映画を連想する。タランティーノの映画もエピソードの時系列が入れ替わっていたり、ある話の登場人物が別の話に登場したりする。俺はタランティーノの映画は大好きだ。だけど、話のそういう部分にはそんなに魅力を感じていない。仮に「パルプ・フィクション」を時系列に並べ替えて、登場人物の関係をもっとすっきりさせても、やっぱり面白い事に変わりはないと思うのだ。だから、そういう面白さがあるからこそ逆に、いろんな登場人物が出てきてごちゃごちゃする部分に対してケチを付ける気は起こらない。というより、+αの魅力として見る事ができる。



この映画は漫画を忠実に再現しているそうだ。漫画とアニメーションと写真と実写映画の面白さは違うと思うんだけど、どうだろう。あるいは、漫画だと思って観れば面白かったのか?
ブライアン・デ・パルマブライアン・シンガーの映画があんまり好きじゃない俺の趣味も関係しているかもしれない。俺が面白さを感じない、ある種の凝った映像というものがあるが、これもそれらの仲間だったんだろうか。


最初の話に登場する少女はナンシー・キャラハンという名だった。キャラハンと言えばダーティ・ハリーの名前じゃないか。で、きっとそこに何かあると思ってみていたら何も見つからなかった。たまたま一緒になっただけだったんかね。まあ、「ダーティ・ハリー」の事をあんまり覚えてないから、本当はあったのかもしれない。「ダーティ・ハリー」にナンシーというキャラクタがいたんだったっけか?あるいは、笑いも皮肉もない、俺の嫌いな意味無し「オマージュ」ってやつか?