「シンデレラマン」 監督 ロン・ハワード

面白さを感じる一方で、同時に冷めた気分もあった。
まず、時代背景がなんか苦手だ。興味を惹かれないんだよな。しかも実話が元になっているらしい。「実話だから何?」と思ってしまって、条件反射的に身構えてしまう。
逆に言えば、そういう俺が苦手としている舞台装置がそろっているわりには、めずらしく面白く感じる部分もあった。


もし実話でなかったら、この映画の作り手達は最後に主人公に勝たせる事ができたか。例えば「ロッキー」は引き分けた。あそこで勝ってしまったら出来過ぎだという作り手の自制心のようなものが、「ロッキー」の作り手にあったんじゃないだろうか。
この映画では勝ってしまう。実話だからいい?実話だから仕方ない?
確かにそうなんだけどね……
いくら実話だと言い訳されても、出来過ぎの話は冷めてしまうんだよな、俺は……


実話だ実話だと言っても、当然、映画は演出された作り物だ。寂しい気分の時に、寂しさを盛り上げる音楽がどこからともなく聞こえてくるという事は、現実にはない。スクリーンに映っているのはジム・ブラドックではなくラッセル・クロウだ。
試合の正確な日付を出したりして実話である事を強調されると、現実を意識させられ、逆に今見てるのはドキュメンタリーフィルムではなく、作り物なんだという事実を思い出してしまう。


それだ。実話である事を示された時、逆に映画が作り物であることを思い出してしまうんだ。それが、あんまり俺がこの手の映画が好きになれない理由の一つだ。たぶん。


なんで好きこのんで、現実の制約がある実話を映画にするんだろう。何となく分からないでもないんだけど……なんだろう。
ジム・ブラドックという人物がいたことを残したかった?
もしそうなら理解できる。
でも多分そうじゃないよな。映画の素材として面白そうだと判断したから映画にしたんだろう。
となると、やはりその面白さはドキュメンタリーの面白さじゃなくて、話の面白さであるべきなんじゃないか?
ドキュメンタリーの魅力とフィクションの魅力は別物だ。
話の面白さを求めるなら、実話じゃない方が都合がいいんじゃないか?少なくても、フィクションの魅力を信じているんなら、実話である事は強調しない方がいいんじゃないか?


それでも、この映画では最初に書いたように面白さも感じる事はできた。最後に挑戦したチャンピオンや主人公のマネージャーなど、癖のある人物達の魅力。
それから、会場の観客。
試合に観客が沸く。たまらずに席を立ちリングへ向かう人たちが映し出される。
心が動かされるのはそういうシーンだ。
試合そのものではなく、熱狂する人をみて、この試合は、観客にとってそれだけ興奮する試合なんだと感じる事で、自分もそこに巻き込まれる。


残念ながら、主人公のドラマにはあまり心を動かされなかった。演出の問題ではないと好意的に考えると、俺が主人公の気持ちを実感できなかったためかもしれない。
主人公の持つプライドとか優先順位は、頭では理解できる。理解したつもりだ。
でも、いくら理解したつもりになっても、その行動は俺の行動とは違うし、「そうそう、そうなんだよ」と感情移入する事はできなかった。

環境が違いが原因なのか?
例えば、食べ物が買えないほどの貧乏というのを経験した事がない。そのつらさは想像できる気がするが、当然本当に経験した人とは感じ方は違うだろう。
そういう環境の違いを実感できなかったのか?