「龍が如く」

龍が如く Play Station2 the Best
この歌舞伎町にそっくりな街を徘徊する以外は、不満だらけのゲームだ。
今までやってきたゲームのファンタジーや外国の街とは比較にならないほど街の雰囲気の再現力は強力で、驚異的と言ってもいいくらいだ。日本的なネオンのぎらつきを目にし、雑踏のざわめきが聞こえてきたとたん、猥雑な繁華街の雰囲気に飲まれる。視点が固定で完全3Dではないことと、地区の特色が出るほどに街が大きくないのが残念だけど、それでもこの街の徘徊は楽しい。
でもそれ以上に不満が大きい。


ゲーム自体はまず操作がかったるい。反応が悪い。それからムービーが多い。物語説明が長い。場面の切り替えに時間がかかる。つまりはゲームをしてない時間が長い。ゲームがメインなんだか、物語説明がメインなんだか分からないくらいだ。ここまでゲームを中断するなら、もうゲームなんて形にしないでCGアニメとして作りゃいいのに。このへんの不満は「絶体絶命都市2」とほぼ同じ


遥という小学生の女の子が出てくる。すっかり父親目線でこの子をかわいいと感じる瞬間があるんだけど、それはムービーの中の色々な表情だとか、物語の中で描かれるいじらしさだとかでは、全くない。ゲーム中に速く走りすぎて、「はやいよー」と言いながら後を追いかけてきたり、何かを買ってやった時に「ありがとう」と言って喜ぶ姿だ。つまり、自分の行動への反応だ。こういうプレイヤーの意志の反映や登場人物のリアクションが、映画や小説には不可能なゲームの最大の魅力だと思うんだけど、なぜそういう部分より物語なんかに力を入れて作られてしまうんだろう。プレイヤーの意志の存在を全く無視して一方的に押しつけられる物語は、ゲームには必要ないと思えて仕方がない。


ただ、こういう意見は世間的にはあまりメジャーではないようで、ゲームの評価として物語のデキがどうこうという意見があったり、このゲームが賞を獲ったりしている。


それで、ちょっと連想したことがある。今手元にないので題名が分からないのだけど、村上春樹イラストレータ安西水丸が共著で出している本がある。ネットで調べてもこの2人の共著の本は何冊かあるので、そのすべてがそうなのか、そのうち1冊の記憶なのかは分からない。とにかくその本では文章とイラストが対等に扱われている感じで、本文とおまけの挿絵という関係ではなかった。で、俺はその本をどうやって読んだらいいかが分からなかった。
イラストがただの挿絵であればちょっと見てすぐ文章に戻るのだけど、対等に扱われていると絵もちゃんと見ようとする。けど、文章を読むテンポと絵を見るテンポの頭の切り替えが俺にはできず、結局文章だけを最後まで読んで、それからまた最初に戻って今度はイラストだけを見ていった記憶がある。


他の人はどうなんだろう。問題なく文章もイラストも交互に楽しめるんだろうか。もしかしたら、他の人は普通に頭の切り替えができるんだろうか。
同じように、俺はゲームとゲームに挿入されているムービーの切り替えが頭の中でできないのだけど、もしかしたら他の人は操作する時間と傍観する時間の切り替えが問題なくできるんだろうか。


そんなわけで、ムービーが流れている時間は俺にとっては暇な時間となってしまう。このゲームは特に暇な時間が多い。ゲーム中に暇ってどんなゲームだよ。
ただ、俺は俺なりに対処できるようにはなってきた。このゲームは足の指でプレイできるようになった。戦闘アクションはちょっと無理だけど、それ以外は足で充分プレイできる。これは俺の足が器用だという事じゃなくて、それだけこのゲームの操作が単調だという事だ。手と足で別々の作業を同時にこなす事はまだできないけど、コントローラを持ち替える必要がないだけですげー便利。別のことをしながらゲームができる。欠点はたまに足の指が痙るぐらいだ。


Wiiが売れているらしい。Wiiの圧勝が、プレイヤーにプレイをさせないこういうゲームの衰退を招けばいいのに。そうはならないのかな。