「ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君」

アルティメット ヒッツ ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君
ある世代以下では半ば一般常識化している「ドラゴンクエスト」だけど、実は初体験。さすが超メジャーソフト。面白い。飛べるようになって今までうろうろしていた土地を文字通り鳥瞰で眺められるようになった時には、「塊魂」の最終面にも匹敵するような快感を覚えた。俯瞰というところに何か俺の快感のツボがあるんだな。
けど長かった。俺には長すぎかも。まさか年を越すとは思わなかったぜ。
初めのうちは、なんだか会話が子供向けっぽいし、ひらがなばっかりだし、展開も単調だなあと否定的に感じていたんだけど、そのあたりはまだまだ全然序盤だったと後で思い知らされる。かなり広いマップをあちこち飛び回り、これで終わりか?と思っているとまだ続く、今度こそ終わりか?と思っているとまだ続く、挙げ句の果てにはエンドロールが流れ「the end」と出たにもかかわらずまだ続く。忍耐力を試されているのか? いや、面白いけどね。


このゲームではシステムにいくつか面白いなと思ったことがある。もっとも、経験値をためてレベルをアップしていくRPGは面倒くさくて敬遠していたので、もしかしたら「ドラゴンクエストVIII」特有というわけではないかもしれない。


俺が今までやってきたゲームのような、死んだらセーブしたところからやり直す、という概念はこのゲームにはないようだ。
セーブしたところからやり直すという手段は言い方を変えると、時間を戻して死んだ事をなしにする、と言うことだ。しかし、このゲームでは死んだ事をなしにしない。実際、一度絶滅させられたボスキャラのところに再度挑戦しに行くと、「性懲りもなくまた来たか」みたいな事を言われる。ボスキャラは殺した記憶をちゃんと残している。
その代わりに復活はやたら簡単だ。一人の死だったら呪文一発だし、仲間全員絶滅しても多少の金銭的ペナルティがあるくらい。


どちらのシステムにしても、安易に死ねて自分の命が安い事には変わりない。試しに死んでみる事も可能だ。だけど、この死んだ事をなしにしないシステムは、命の安さ、死の記憶が強調されているようで新鮮だった。賢人の子孫達が殺され危機に陥るという物語の設定とは矛盾しているような気はするけど、それは脇に置いておこう。


もう一つ面白かったのは、主人公がまったく喋らないことだ。途中に挿入されるムービーで喋るのは周りの人間だけで、主人公は一切喋らない。主人公と誰かの二人きりのシーンであっても相手が一人で喋っているだけだ。
前に「大神」について書いた時に主人公が傍観者であることが良いと書いた。「ドラゴンクエストVIII」では傍観者ではないけど、物語において主人公の意志を見せることはない(最後だけちょっと違うけど)。ゲームにおける感情移入という点で、これは重要だ。


ゲームに物語はいらないと何度か書いているけど、俺の中ではそれがはっきりしてきたような気がする。物語は語る人間がいて、聴く人間がいる。聞く側は物語に対して受動的にならざる得ない。だけど、ゲームはプレイヤーに参加してもらわないことにはゲームとして成り立たない。このゲームの能動性と物語の受動性の矛盾を解決する苦肉の策として、主人公が喋らないという演出が取られているのだろう。主人公はあくまでもプレイヤーであるあなたです、という事だ。実際のプレイヤーの意志と無関係にゲームの主人公が話す出すことはしない。


この「ドラゴンクエストVIII」、「大神」、ちょっと前にやった「Grand Theft Auto III」、これらのゲームでは主人公は喋らない。主人公が喋るかどうかというのは、俺にとって面白いゲームかどうかの1つの目安になるかもしれない。


ただ、そこまでしてゲームに物語を組み込みたいのであれば、ムービーという形で1つの物語を押しつけるのではなく、プレイヤーの行動に合わせて物語自体を毎回毎回自動生成するようにすればいいのにと思う。
物語のパターンはそんなに多くないだろう。出会い、別れ、再会、裏切り、犠牲、過去といったパラメータを用意して、あとはプレイヤーの選択に合わせて周囲の登場人物達を行動させるだけだ。しばらく一緒に探検していた人間が土壇場で裏切る行動を取るだけでプレイヤーの中には憎しみが生まれるし、死んでしまえば悲しみが生まれる。仰々しい演出のムービーによる押しつけの物語より、よっぽどその方が生々しいドラマを感じられるはずだ。
映画や小説の主人公は自分ではないので感情移入させる必要があるけど、ゲームの主人公は元々自分で操作できる自分の分身だ。必要なのは他人に感情移入させる演出ではなく、自分の分身であるという感覚をキープし続けられる演出だ。
俺が知らないだけで、そういうゲームはもうあるのかな。