自分の更新ルールを決めてみる

また間が空いてしまった。ここに書こうと思いながら書いてない映画や本がたまってくると、書くのが面倒になってくるのかな。不思議なのはこの日記を書いてない時は映画に行くペースも落ちるんだよな。多少忙しさもあったけど、これを書いてないと映画の優先度が下がるみたいだ。


本当は見た映画や本すべてについてここに書きたいと思っている。でも、ここに出力するペースは頭に入力するペースより確実に遅い。今までの感じで書いていたら、どうしても書ききれないものがたまってくる。さてどうするか。


週に2つか3つ書く題材を決めて残りは書かない、と決めてしまえれば、それでいいかもしれない。でも記録として全部残したいという気持ちもあって、なかなかそう割り切れない。
この日記を記録と考えると、とりあえず観た映画の題名だけを書いておくというのもありかもしれない。まあ、プラスして一言二言書くだけだったら負担にならないだろうから、それだったらたぶん続くだろう。ただ、それだとなんでわざわざこうやって公開してるんだ?という気がしてくる。また、ここに書くのは考えるきっかけだと思っているんだけど、一言しか書かないやり方を許してしまうと、ずっとそのやり方になってしまって、考えるきっかけにならなくなりそうなのが怖いところだ。


うん、とりあえずルールを決めてみよう。
基本的には全部今までの長さで書く(つもり)。ただし、書かずに1週間たってしまった本や映画は、題名と一言二言感想を書いて終わり。


とりあえずこれで行くけど、たぶん、一言二言で終わりにするものが出てくるだろう。そうすると、どれについて考えるかを自分で決める事になりそうなのが、なんとなく抵抗あるんだよな。もちろんどうやったって自分で決める事には変わりないんだけど、それでも全部書くとなれば、自分の思考の枠をはみ出るものもあるだろう。そういう部分に意識を向け続けると、徐々に自分が慣れ親しんだ考え方、自分が無意識のうちに定めている視点の死角に気付く時がある。けど、自分で書く題材を決めるとなると、結局自分の書きやすいもの、つまりは自分の思考の枠からはみ出ないものだけを選んでしまいそうでいやなんだな。ただでさえ観る映画や読む本は自分の興味で選択されているものなのに、さらに自分が普段考えないようなことに焦点を当てる機会が減りそうだ。
まあ、とりあえずやってみるか。


何年か前は今よりずっと映画を観ていて、そんなに興味がない映画でも観る余裕があった。そうすると、例えば1年間で面白かった10本を思い返してみると、そのうち半分ぐらいは期待せずに観た映画だった。仮に期待してみる映画が2本に1本だったとすると、自分の期待と実際に面白さはほぼ無関係だということだ。
さらに、期待せずに観て面白かった映画というのは、今まで自分の中になかった感受性を開拓してくれる。


興味というのは、ある意味絶対的な指標として自分の行動を律する。映画に限らず、今の情報過多な世界では、自分が興味があるものだけを見る事が可能だ。だからこそ逆に、たまには興味のないものに、意識して目を向けていく必要があるだろうという気がする。本当は、この日記をそのきっかけとしたいんだけど、難しいな。