「秘密のかけら」 監督 アトム・エゴヤン

何を描きたかったのかよく分からなかった。話の構成にはおもしろさがある。舞台は1958年と1972年だ。2006年に住む俺からすればどちらも昔なので少し混乱する。映画は回想形式で2つの時代を行き来する。二人の人物の一人称のナレーションが入る。
描きたかったのは、この重層的な構造を持った物語なのか?この混乱なのか?1958年や1972年の時代の雰囲気なのか?サスペンスなのか?人の裏の顔の存在なのか?どれにしても、中途半端な感じがした。


部分的に、背徳の色気が立ち上がるシーンはある。しかし、その気配は登場人物の無意識や業をあぶり出すことはしない。ごく表面的になぞるだけだ。この映画はこれまでのエゴヤンの映画と通じるものを持ちながら、なにか決定的なものが、物語の形式によって失われてしまっているように感じた。逆に言えば、そういう物を期待してなければ楽しめたのかもしれない。


俺はどんでん返しがあまり好きじゃない。そういう趣味が影響しているかもしれない。例え、予想もしないアクロバティックなどんでん返しでも、どんでん返しという存在に対して、「またかよ」と思ってしまう。映画の種類にもよるけど、話の構造上の要請で登場する「どんでん返し」にびっくりできるほど俺は素直じゃない。
この映画の場合は、最後に、オープニングシーンの裏の状況が明かされ、そこにドラマが少し生まれる。しかし、それは俺の中には染み込んでいかなかった。


ところで、この映画の原題は「where the truth lies」という。直訳すると、「真実があるところ」。この文を見ると、liesを「存在する、横たわる」という意味で自然と解釈してしまうけど、改めて見てみると「嘘、嘘をつく」という意味のlieとまったく同じスペルだったんだな。文法的に正しいかどうか自身はないけど、「where the truth lies」は「真実が嘘をつくところ」とも訳せるのかな?「存在する」と「嘘をつく」が同じ単語というのは面白い。語源はなんだろう。共通の語源なのかな?