「コープスブライド」 監督 ティム・バートン

これが見たかった。期待通りではある。「チャーリーとチョコレート工場」も良かったけど、説教臭さにやや興を削がれた感は否めない。もちろんそれ以上の魅力があったんだけど。
人形アニメーションのぎこちなさは、何でこんなに心地いいんだろう。現実の緊張感を押しつけてこないからだろうか。けど、CGアニメーションにはそのような心地よさは感じない。実体の感触が現実を引きずっている分だけ、人形アニメーションの方が偽物感が強いのかもしれない。
もし、実はこれも全部CGでしたって言われたら、それはそれで面白いけどな。


見終わってとても満足した映画だった。だけど、考え出すと不満がいろいろ出てくる。だから、始めに繰り返し断っておく。面白く満足した。この映画は、なめらかにラストの解放まで導く。「チャーリーとチョコレート工場」より見とれる。ただ、なめらかすぎたかも。


さて。2人の女性は、同じように魅力的だ。容姿はともかくとして。男はコープスブライドから逃げようとはしている。しかし、それは彼女が死んでいるからだ。色鮮やかな死者の世界に慣れ、死ぬことに抵抗さえなくなれば(何しろ死者の世界の方が楽しそうだし)、結婚してもいいと思わせる女性だ。実際、使命感も手伝って、一度は結婚を決意する。
この映画の表向きの顔は、気弱で女に縁のない男がゾンビから逃げ、どうにか結婚にたどり着く話だ。しかし、男の性格や死体や限りなく色を抜かれた生者の土地など、そういうこの映画の雰囲気を作っているものを取り除けば、2人の女性に取り合いをされる、ある意味贅沢な男の話だ。


最終的にコープスブライドは身を引き、男は生者を選ぶ。コープスブライドは捨てられてしまう。しかし、コープスブライドをはめた悪人は懲らしめられ、コープスブライドは怨念から解放される。すべてが円満に収まる。完璧に。


皮肉なことに、完璧すぎて物足りない。
やはりこの映画にも、最近のティム・バートンの映画と同様の、うっすらとした物足りなさを感じてしまう。理想からはみ出たり、足りなかったりするものを見るためにティム・バートンの映画を見てきた。たぶん、登場人物はもちろん、映画自体にもそういった感触を感じていたのだと思う。しかし、この映画ではその感触は消えてしまっている。何度も書くが、面白かった。ただ、ほんの少し、物足りなさがあるのだ。


色調や登場人物達には暗さがあるのに、俺の頭の中のではこの映画の色は暖色だ。かつての映画に感じたような寒色のイメージは湧いてこない。
あるいは、青春映画に対して使うような言葉を、もう当てはめることができなくなってしまったと言ってもいいかもしれない。弱さ、切なさ、儚さ、危うさ、怖さ、残酷さ、歪さ、刺々しさ、現実逃避、自意識過剰……。確かにそういった要素は、「コープスブライド」の中にもあることはある。しかし、それらは一要素に過ぎず、映画全体の印象には昇格しない。見終わってから思い出してみた時の映画の印象は、むしろ、そういった言葉と逆方向を向いている。
男の方ではなく、コープスブライドを主人公として見ることができれば、あるいはそういうものを感じることが出来たんだろうか。


ティム・バートンだって成長し、変化している。いつまでも同じものを求めるのが無い物ねだりなのかもしれない。
考えてみたら「シザーハンズ」だとか「ビートルジュース」だとか「ナイトメア・ビフォー・クリスマス」だとかを最後に見たのは、もう何年前?もしかしたら、今見たらまたちょっと違った印象を受けるのかもしれないなあ。そう考えるともう見るのが怖い。


もし、コープスブライドの声をウィノナ・ライダーがやっていたら、少しは俺の期待しているものに近づいていたかもしれない。