「行動経済学」 友野典男 著

行動経済学 経済は「感情」で動いている (光文社新書)

「経済学」と聞くと、市場がどうとか銀行がどうとか「経済ニュース」のようなものを思い浮かべてしまうのだけど、この本で扱っているのはそういう事ではなく、俺のイメージで言うと「マーケティング」や「心理学」に近い。一般人がどんな指向を持って選択を行っているかについて書いた本だ。
一般人の俺からすると、書かれている事は当たり前に感じる事が多い。感情に左右されて合理的な選択をしないとか、一度手に入れたものは手放しにくくなるとか、目先の利益をつい優先してしまうとか。現時点の自分を基準にして判断するとか。
そういう漠然と感じている判断基準を明確にしてモデル化しているところが、たぶん行動経済学のすごいところなのだろう。


そんな感じで特に「そうだったのか」と思うところは少ないのだけど、そんな中で「あー、あるある」と感心した部分が1つあった。そういうことがあることは感じていたけど、法則性があると思っていなかった事。

シュワルツは、このような現象を「選択のパラドックス」と呼んでいる。選択肢が多いほど自由に選べる可能性が広がり、より充実度は高くなるはずだという信奉が現代人にはある。この発想は自由主義思想とも結びついて世間を席巻しているが、これは幻想だと思う。
(中略)
シュワルツとウォードらは、何でも最高を追求する性向のある「最大化人間」と、サイモンから着想を得た、「ほどほど」で満足する「満足化人間」がいるとして、その判定法を考案している。最大化人間は、選択肢が増えるとそれをつぶさに検討して、より良いかどうかを確かめないと気がすまないが、満足化人間はいったんそこそこの選択肢を見つければ、選択肢が増えても気にしないのである。したがって、最大化人間は、選択の結果に充実度が低く、後悔しがちであり、総じて幸福度が低いことが指摘されている。

たまたま俺の身近に極端な最大化人間がいて、この説明を読んで深く納得してしまった。


この本のメインテーマと直接は関係ないのだけど、いかに人の判断は合理的ではないかを説明するために「モンティ・ホール・ジレンマ」という問題が紹介されている。

ドアが3つあり、当たりは1つだけである。ドアを1つ選ぶと、残りの2つのドアのうちはずれの方が知らされる。そして、最初の選択を変更するチャンスが与えられる。ドアの選択を変更するかしないか

多くの人の答えは「選択を変えない」だそうだ。俺もそう思った。変えても変えなくても確率は同じはずだ。が、実は「選択を変える」が正解で、選択を変えると当たる確率が高くなると言う。これを読んだ時は、しばらく考えた末に「この本が間違っている」と結論を出した。
だけど、その後この問題がWikipediaにも載っている有名な問題だと知った。
モンティ・ホール問題 - Wikipedia
そしてWikipediaにもやはり選択を変えると当たる確率が高くなると書かれている。これを見てもう一度考え直して、やっと選択を変えた方が確率が高くなると言うことが納得できた。
ドアA,B,Cの3つのうち、自分が選択したドアをAとすると、BかCが当たりなら最初に自分が選択しなかった方のドアが当たりになる。つまりそのドアの確率はBとCの確率を足されて倍になっている。ドアが100枚あるのなら自分が選択しなかったドアが99枚あるので確率は始めの99倍になる。うーん、言葉で書くとやっぱり分かりにくい。
ここがとても分かり易い。
DOFI-BLOG どふぃぶろぐ ネコでもわかるモンティホールジレンマ


そこまで納得して、今度はwikipediaの説明に納得できない箇所が出てきた。

この問題はパラドックスであるといわれることがある。最初からドアが1つ開いた状態で、2つのドアから1つを選ぶという問題であったなら、確率は 1/2 である。それに対して、このゲームによってドアが1つ開いた状態になった場合には、確率は 1/3 と 2/3 になる。このように確率が異なることがパラドックスといわれる理由である。
しかし、これは確率の計算に矛盾があるわけではない。ドアが2択になった経緯を知っているか知らないかの情報の差がドアの評価に影響しているだけである。

実はもうひとつ重要な前提がある。それは、この問題のルールをプレイヤーが知っているということである。この前提なしでは、プレイヤーにとってルールが定まっていないのと同じであり、「ドアを変更してもしなくても同じ」が答えになる。

知っていようが知っていまいが確率は変わらないような気がする……
例えば、問題提出者は当たりのドアをあらかじめ知っているので、問題提出者にとっての確率は0%と100%であり、確かに同じ問題が状況により確率が変わることはある。
だけど、回答者が当てる確率は変わらないような気がする。ドアが二択になった状態で、それまでの経緯を知らない別の回答者が現れドアAを選んだ時に当たる確率はやっぱり1/3、もう一つのドアを選べば2/3だ。新しい回答者はそれの確率を知らないだけであって、当たる確率は変わらない。
ああ、そうか。「実際の確率」は1/3と2/3になるけど、その偏りを知らなければ、「その人が計算可能な確率」は50%なのか。ほとんど言葉遊びの領域になるけど言い方を変えるなら「当たる」確率と「当てる」確率が違うということだ。
例えば、スロットで設定6の台に座れば結果的に良く「当たる」し、設定1の台に座れば結果的にあまり「当たらない」。しかしどの台が設定6でどの台が設定1かを知らなければ、台選びを含めてその人が「当てる」確率は一緒だということだ。
この客観的な確率と、主観的な計算可能な確率が違うことが、Wikipediaの説明では分かりづらいんだな、たぶん……